「転移妖術への抵抗力……ですか?」
「うむ。仮に、転移妖術をかける相手が一切の無抵抗だった場合、転移先にはかなりの自由度がある。高所に転移させて落下死させることも、樹海の中心に転移させて遭難死させることも可能じゃろう」
「実質的には攻撃系の妖術のように使えるわけですな」
「その通りじゃ。しかし、万物には妖術への抵抗力がある。特に人間を転移させる場合は、本能的に強い抵抗力が発揮されることが多い。攻撃系妖術として転用するのは机上の空論。実際には、即座に死に繋がるような場所への転移は不可能じゃ」
ひみこが淡々と告げる。
ここまでは、あくまで事実の再確認だ。
周囲の重鎮たちにも動揺などはない。
「今回もそうでしたな。可能であれば海の向こうの元の国に送り返したり、あるいは海上へ放り出したりするのが理想でしたが、それは難しいと。せいぜい、大和の地に散り散りにさせるのが限界だった……そんな報告を受けております」
「うむ。わらわもその理屈に異論はなかった。じゃが……」
ひみこは、そこで一旦言葉を止めた。
沈黙が部屋を満たし、誰もが次の言葉を待った。
「……妙だとは思っていたのじゃ。連中の戦闘能力の割には、やけにあっさりと転移に成功したと」
「それは……つまり?」
「連中の行動を阻害するどころか、贈り物をしてしまったのかもしれぬということじゃ。本能的に『自分を高めてくれる場所』や『大和における自分の任務が捗る場所』を察知し、そこへの転移となるよう妖術を誘導した可能性がある」
「ま、まさか……そんなことは……」
信じがたいという色が、周囲の面々の表情に浮かんだ。
敵対者から自身に対して行使された、強制転移の妖術。
それに抵抗して効果を弱めるだけならば、妖術に心得がない者でも多かれ少なかれ可能だ。
しかし、妖術の効果を誘導して自らの好む場所に転移するなど、常識外れにもほどがあった。
広間に重く冷たい沈黙が広がる。
誰もが否定したい思いを抱えながらも、否定しきれぬ現実に口を噤む。
誰かが冗談だと笑ってくれれば、それに乗じて否定できたかもしれない。
しかし、ひみこの言葉はあまりにも冷静で、確信に満ちていた。
「各地の情勢変化を見るに、連中が何らかの形で頭角を現しまくっておることは間違いない。となると、わらわの推測も的外れではないはずじゃ」
言葉の一つ一つが、場の空気をさらに重くしていく。
襟を正す者、そっと目を伏せる者、無言のまま拳を握りしめる者……。
誰もが、胸中にざわめく不安を隠しきれてはいなかった。
「「「…………」」」
彼らが練り続けてきた策の最終目標は『大和の統一』。
その前提として不動の敵とされていたのは、女傑将軍・信菜が率いる愛智藩である。
だが、盤上の駒はすでに静かに動き出していた。
気づいた時には、盤面そのものが塗り替えられつつあったのだ。
「特に気がかりなのは、桜花藩じゃ。カゲロウの報告によると、連中のまとめ役――タカシとやらをその地に送り届けたそうじゃ」
「桜花藩……。経済の要所ではありますが、軍事的には中堅でしたな。愛智藩を攻める際の足がかりにするべく、諸々の情報は集めておりました。それが突如、謎の男によって乗っ取られたと……」
重鎮の一人が眉間に深い皺を刻みながら報告を補足する。
彼の声にはわずかな苛立ちと戸惑いが混じっていた。
桜花藩は、言うなればただの経路であり、目標ではなかった。
それが今、戦国の中心に躍り出た。
未知の男の手によって。
「新藩主はタカシと名乗っておる。十中八九、カゲロウが転移させた男じゃろう。予測不能な不穏分子を佐京藩から追い出すのが最優先じゃったし、転移させた判断自体は咎めなんだが……。まさか桜花藩を乗っ取るとは、想定外中の想定外じゃ」
「……しかし、奴が仲間と合流したという情報はありません。奴にとって異国の地で、他に知己もおらぬはず。まさか、単身で成し遂げたのでしょうか?」
「概ねその通りじゃろう。じゃが、藩の元重鎮を味方に付けていたという情報もある。その上、乗っ取り後には元々の幹部どもをそのまま重用したそうじゃ。常識で考えれば再度の謀反があって当然じゃが、今のところは平和そのものと聞いておる」
「なんと……」
「ある意味では、ただの戦闘馬鹿の方が与しやすかったのじゃが……。人心掌握に長けているのなら、より厄介じゃ」
ひみこの声には、興味と危機感がないまぜになっていた。
計略よりも力で圧すのが王道だと思い込んでいた時代は、すでに過ぎ去っている。
この戦国時代は、個の武力で勝ち抜けるほど甘いものではない。
今、求められるのは――力と知略、そして人を従わせる才。
タカシという男は、それを兼ね備えているというのか。
「……ところで、不朽丘藩の方はどうなっておる?」
「はっ! 治療妖術使いの力量が想定をはるかに超えておりましたので、一時的に攻勢を取りやめて撤退しております。ひみこ様が懐柔された”聖騎士ソーマ”を中心に、要所の守備は固めさせております。不朽丘から逆に攻め込まれるようなことはないかと……」
「魅夜裂(みやざき)藩はどうじゃ?」
「まだ怪しい動きを掴んだところでございます。”千”を偵察隊として送り込み、注視させます」
「うむ……」
ひみこは考え込む。
視線が天井のどこかを捉えたまま、表情の奥で何かが静かに動いていた。
大義のため、勝利のため。
すべては計画通りに進むはずだった。
しかし、風向きはすでに変わっている。
当初は通過点に過ぎないと思っていた九龍地方の平定が滞っている。
愛智藩に加え、桜花藩が第三勢力として躍り出た。
由々しき事態だ。
「……わらわは桜花の地に向かう。新藩主とやらを見極めてやろう」
「は? し、しかし……」
「わらわの能力を忘れたか? 聖騎士を懐柔して、少しは消費したが……。数十年も貯め続けた妖力には、まだまだ余裕があるのじゃ。わらわが”貸し与える”に足る器か、直々に見定める」
「は、ははっ!!」
家臣の目に光が戻る。その目は畏怖と期待が綯い交ぜになった複雑な色を宿していた。
ひみこの一言は、単なる旅行宣言ではない。
覇道を選び続けた女王の意思表示だ。
「ふふふ……。ほぼ単身で桜花城を攻め落とすような男に、わらわが力を”貸し与え”ればどうなるか……。今から楽しみにしておるぞ……?」
ひみこはニヤリと笑う。
その笑みは、まさに女王のそれであった――。
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