昼下がりの石畳は真上から注ぐ陽光で白く光り、陽炎が立ちのぼって目線を揺らす。
城下の大通りには、涼を求める人が途切れない。
頬かむりの行商、木桶を抱えた町娘、遠方から来た旅人。
それぞれが汗を光らせながら、蜜氷屋の暖簾へ吸い寄せられていく。
蜜氷屋──異国渡りの氷菓を売るその店は、桜木で組まれた格子の行灯に「花雪」と銘打ち、透ける水色の布簾を初夏の風になびかせていた。
瓦屋根の端では風鈴が澄んだひと鳴りを落とし、背後の軒下では氷削り機の歯車がきい、と小気味よい音を立てる。
蜜の甘い香りが溶けた氷気と混ざり、通りの熱気を包み込むように漂った。
遠巻きに眺める子どもらが「早く食べたい!」と声を弾ませ、その歓声が蝉しぐれに溶け込んでいく。
俺たちは、ちょうどその列の最後尾へ加わろうとしているところだった。
「兄貴、早く並ぼうぜ!」
隣で流華が言う。
焦げ茶の瞳に淡光が映り、額には一筋の汗が玉となる。
けれど唇は緩く弧を描き、列の先にある涼を思い描いているらしかった。
「……私も待ち切れない。高志くんもそうでしょ……?」
桔梗が扇子代わりの袖で頬をあおぎながら、つい、と俺を見上げる。
肩口の薄紫の紐が汗で肌へ張りつき、陽炎の向こうで細い笑みを揺らしていた。
その姿を視界に収めただけで、胸の奥にひそむ何かが小さく弾け、ほのかな満足感が波紋を描く。
俺は頷き返し、列の進み具合を確かめるように首を傾けた。
「……ん? なんだ、妙に騒がしいな」
列の先頭の方で、怒号が空気を震わせた。
ざわり、と熱気の層が乱れ、声の波はじわじわと近づいてくる。
行列の客たちは「何だ?」とざわめき、誰からともなく身を縮めた。
「おらぁ! 売上金、全て寄越しやがれ!!」
「異国の食文化など受け入れやがって! これだから桜花藩の連中は!!」
「大和の恥晒しめ! 貯め込んだ金は、俺たちが有効活用してやる! さっさと差し出せ!!」
不協和音めいた罵声と悲鳴が重なり、道端の木桶が激しく倒れる。
赤みを帯びた撫子の花弁が石畳を転がり、蜜氷屋に暗い影を落とした。
「高志様、どうやら賊どもが暴れているようです」
袂を押さえた紅葉が静かに囁く。
絹糸のような髪が揺れるが、その淡い赤色の瞳は落ち着いていた。
「ふむ……考えなしだな。この藩には俺がいると知らんのか」
俺は肩をわずかに竦めつつ、無意識に重心を前へ移す。
腰の刀は鯉口を切らずに添えるだけ。
焦らず、だが逃がさず――それが俺の流儀。
「どうやら余所者のようだぜ」
流華が帯を鳴らし、銀色のクナイをくるりと遊ばせる。
「兄貴のとんでもねぇ強さを知らなくても、余所者ならしゃあねぇさ。下剋上で藩が揺れた直後は格好の稼ぎ時だし、狙われちまったな」
行列はみるみる崩れ、客たちは軒下や細い路地へ逃げ散る。
幼子の手から蜜氷の器が滑り落ち、とろりと溶けた蜜が石畳に淡い水彩を走らせた。
土産袋を抱えた旅人は笠も拾わず駆け去り、その笠がころころ転がって犬の吠え声を誘う。
その向こうで、蜜氷屋の布簾がぱたりと跳ねるたび、店主の怯えた顔がのぞいては消えた。
「……それで、高志くん。どうするの……?」
桔梗が一歩前へ出て、瞳を真っ直ぐこちらへ向ける。
彼女に怯えはない。
もちろん俺にも。
この程度の出来事は、取るに足りない。
ただ、”誰がこの事態を片付けるのか”というだけの話だ。
「もちろん俺が行くさ」
俺は浅く息を吸い、刀の柄にそっと触れる。
「今日は休暇だったが、目の前の問題ごとを放置するわけにはいかんだろう。これまで何度か不埒者をぶっ潰してきたしな。いつものことだ」
下剋上で俺が桜花藩を支配するようになってから、それなりの月日が経過している。
主に他藩の侵略に力を注ぎつつ、内政改革に手を出したりもした。
さらには、ストレス発散がてら藩内の賊を適当に倒したことも、一度や二度ではなかった。
「聞いた話では、一部の民衆は俺を『減税政策を打ち出した上、藩内の治安維持にも率先して繰り出すほどに民思いな英雄』と持ち上げているらしいぞ。噴飯ものの勘違いだが、それを利用しない手はない」
俺が桜花藩を支配したのは、ミッションに従ってのことである。
紅葉や流華のように困窮する子どもたちを救いたいという気持ちも少なからずあったものの、そこらの成人住民については大して同情していなかった。
感謝される筋合いはない。
だが、それを否定する意味もない。
むしろ、このまま名声を高めていった方がいいだろう。
俺には加護付与スキルがある。
忠義度40超えに与えることができる『加護(小)』は都度の確認が必要なので少し面倒だが、忠義度30超えに与えることができる『加護(微)』の手間は限りなく少ない。
なにせ自動付与だからな。
一般民衆から適度に尊敬され支持されれば、桜花藩の藩力が増す。
そうなれば、今後何らかのミッションが出たとして、柔軟に対応できる可能性が高まるだろう。
「八人か……」
俺は賊どもを観察する。
粗末な小太刀や鉈を握り、動きは素人同然だが、鋼は鋼――無辜の民に向かえば十分な脅威になる。
蜜氷屋の店主は重そうな金箱を抱えて後ずさり、鉈を持つ賊がその腕に鈍い刃を押し付けようとしていた。
「さて……」
石畳を蹴ると、蝉時雨のなかで衣擦れの音が鮮やかに響いた。
逃げ惑う人々の間を縫い、俺は進む。
日差しの匂い、汗を含んだ風、氷菓の甘露――すべてが熱を帯びて混ざり合い、鼓動を速めた。
店先まであと十歩。
賊の背中はすぐそこだ――。
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