「高橋……」
その名を、彼女はまるで何かを手繰るように呟いた。
柔らかく、それでいて深く沈み込むように。
「私の探し人とは違うようです。全裸なのでもしや……とも思いましたが、桜花藩に属しているようですし、やはり違うでしょう。筋肉の付き方も少し違いますし……」
ふとした調子で語られた言葉に、俺は頭の中でツッコミを入れざるを得なかった。
全裸なのでもしや……って、どんな共通点だよ。
探し人は変態なのか?
世も末だな。
「もう行っていいですよ。あなたに用はありません」
あっさりとしたその物言いに、俺はほんの僅かに唇を歪める。
まだ話は終わっていない。
この豪傑、やはり相当な実力者だ。
その佇まいに揺らぎはなく、声の抑揚にも隙がない。
感情を削ぎ落とした刃のような言葉に、俺の中の何かが逆撫でされる。
簡単に引き下がるわけにはいかない。
「そっちに用はなくとも、こっちはあるんだ。……俺の配下にならないか? 今なら、近麗地方の半分をやろう」
俺の声は低く、しかし確実に空気を切った。
その提案の奥には、戦略という名の計算が渦巻いている。
桜花藩の支配域は拡大を続けている。
ミッションにあった『近麗地方の支配』まで、現状であと半分といったところ。
紅葉や流華も頼りがいのある存在だが、可能な限りそばに置きたい。
守りと攻めの均衡を保つには、新たな人材が不可欠だ。
この豪傑を味方に引き入れることができれば、俺や景春と並び立つレベルの”核”となり得る。
もちろん、この豪傑を仲間にしたところで、裏切りの芽がないとは言えない。
だが、俺には『加護付与』というチートスキルがある。
忠義度を数値で測ることができるのだ。
裏切りの前兆は把握できる。
今すぐに測定してみてもいいが……おそらくは時間の無駄だろう。
現状では、低いに決まっている。
「お断りです」
やはりそうだ。
取り付く島もない。
まるで事前に用意していたかのような即答。
こちらが言葉を尽くす間もなく、彼女は提案を斬って捨てた。
言葉だけで屈服させられるとは思っていなかった。
だが、それにしても――迷いがない。
まるで、彼女の忠誠心はすでにどこかに預けられているかのようだ。
「……10分だ」
思わず口を突いた。
提案ではない。
これは、宣告だった。
「はい?」
豪傑が短く言葉を返してくるが、声色に戸惑いはない。
仮面越しに、俺の目を真っ直ぐに射抜く。
いい度胸だ。
「10分で勝負を付けよう。俺はお前の全てを凌駕し、屈服させる。お前が納得すれば、俺の配下になってもらう」
沈黙が落ちる。
一瞬の間。
風が止まり、空気が凝固する。
だが、彼は――微動だにしない。
まるで最初から、こうなることを予見していたかのように。
「…………」
言葉はない。
しかし、俺には分かる。
こいつは、微塵も動揺していない。
「文句あるか?」
「いえ、いいですよ。その勝負、受けましょう」
豪傑が仮面越しにニヤリと笑った気がした。
こちらの挑発に応じるその姿に、俺の中の何かが熱を帯びる。
こうして、俺と豪傑は10分間の勝負を行うことになったのだった。
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