俺は豪傑のすぐ近くまで到達する。
彼もまた、こちらに気付いたのか、仮面越しに鋭い視線を向けてきた。
ずしりと重い、言葉にしがたい圧力が空気を支配する。
やはり只者ではない。
身長こそ思っていたよりも低いが、その分、周囲を圧倒する存在感が際立っていた。
「お前が『美しき帝王』か? 大層な名前だ」
俺は挑発気味に言い放つ。
声音はあくまで軽く、しかし言葉の端にわずかな棘を忍ばせた。
狙った獣がこちらに牙を向けるのを待つ狩人の、無言の誘いだ。
相手の真意を計りたい。
気を緩めさせ、その一瞬の綻びに切り込む。
お互いに仮面を付けている今、それのみが有効な手だ。
「……そういうあなたは……変態ですか? 全裸に仮面で挨拶をしてくるとは、著しく礼儀に欠けるようですが」
返ってきた声に、俺はほんの一瞬だけ眉をひそめる。
仮面越しのため少しくぐもっているが、その声音はどこかしら女性的で、透明な硝子のような響きを含んでいた。
しかし、考えてみれば当然か。
背が低めならば、声は高めになる。
物理的にも生物的にも妥当性のある事象だ。
背丈や声質に惑わされてはいけない。
この人物からは、ただならぬ重圧が絶えず滲み出している。
まるで、こちらの心の奥を覗き込むかのように。
「礼儀に欠けるのは、お互い様だろう」
俺は仮面の奥から、静かにそう返した。
心の中では、仮面の意味と、それを外せない理由を繰り返し噛み締める。
身分が露見することは避けたい。
敵か味方かの判断がつかない今、それは致命的になりかねないからだ。
何より、額の奥に棲みついたあの鋭い痛み――あれが警告のように脈打つ限り、俺は仮面を外すわけにはいかないのだ。
「あなたと同列に語られるのは、とても不本意ですね。こちらにも事情があるのです。とはいえ、場合によっては仮面を外してもいいのですが……あなたのお名前をお聞きしても?」
言葉とは裏腹に、その口調には柔らかな揺らぎがあった。
まるで、刃の上を渡る舞踏のように、優雅で、そして隙がない。
「俺は裸漢(らかん)だ。桜花藩暗部の裏漆刃(うらうるは)に所属している」
もちろん偽名だ。
そして、所属先も道中で考えた適当なものである。
漆刃所属の流華たちを助けにきた勢力なので、”裏漆刃”というネーミングセンスは悪くないはずだ。
「らかん……裸漢? 裸の男ということですか。いかにもな偽名ですね。本名を言ってください」
あっさりバレた。
微笑すら浮かべずに問うその言葉は、真実を貫く槍のようだ。
思わず、肩に力が入る。
「……高橋だ」
無意識に、口が動いていた。
本来なら絶対に明かさぬはずの名だが、この豪傑の圧に飲まれてしまったのだ。
かろうじて、”高志”という名までは伏せたものの、自分の甘さを噛み締める。
ヤマト連邦の慣習が、せめてもの盾になると信じた。
親しい間柄を除き、下の名前ではなく家名で呼び合う。
その文化が、この曖昧な答えを正当化してくれるはずだ。
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