Thousand Sense〈サウザンドセンス〉

きしかわ せひろ
きしかわ せひろ

王女であり本部長

公開日時: 2021年3月10日(水) 16:10
文字数:4,704

「ようこそ、よくぞ王都までいらっしゃいました。歓迎いたします」


 ――――【聖職者連盟】聖王都リルディナ本部。

 本部長ミルズナの執務室。


 ミルズナは心からの笑顔で、ルーシャとリィケを迎える。


「本来ならば、私が出迎えをしたいところでしたが、他の不審の目があなた方へ向くのを阻むため仕方なく……」


 ため息をついて悲しそうに目を伏せたミルズナの真横で、ライズがで自分の主を睨んでいた。


「……別の意味で他の目が注がれましたが?」


「さて! もう午後もだいぶ過ぎましたし、今日は簡単に本部の中を案内いたします。興味がある所がありましたら、私が詳しく説明いたしますので遠慮なく言ってくださいね!」


 ライズの視線を無視して、今度はハキハキとした物言いで顔を上げたミルズナは、二人を促すように颯爽と執務室の扉を開ける。


「よろしくお願いします……」

「お願いします!」


「張り切っていきましょーう!」


 ミルズナはライズと二人を、就業時間ギリギリまで所内を連れて歩いた。






数時間後。


「………………疲れた」


 到着早々、色々な場所をほぼ駆け足で回ったためか、さすがのルーシャもシャワーあがりはクタクタになりベッドに突っ伏していた。


 その横では、夕食を摂る必要のないリィケが一足早く眠りについている。

 部屋に案内された時には既にうとうとしていたので、ルーシャは先にリィケをシャワーに送り、慌ただしく着替えを手伝ったのだ。


 夕食とシャワーを済ませても、いつもならまだ眠るには早い時間だ。しかし、明日からは本部の各部署を、もっと深く見学することになっている。そのためには早く休んだ方がいいだろう。


 ルーシャは鞄から明日のための服を用意しようと鞄に手を伸ばす。


「ん?」


 ふと、自分の荷物のとなりに、投げるように置かれたリィケの荷物が目に入った。先ほど慌ててシャワーへ行ったので中身が飛び出たままだ。


 その中に茶色の革が覗いている。


 これは……


 服を掻き分けて取り出したのは一冊の本。

 表紙の面積はルーシャの手の平より小さい手帳ほど。しかしとても分厚く、まるで大きなサイコロのような立方体である。


 これ……ロアンがリィケに渡したものだったよな?


 表紙の文字をなぞり、中をパラパラと捲ってみる。


 クラストにいた時に少しだけ中身を見せてもらったのだが、ルーシャにはこの本に使われている文字が何なのか分からない。


『リィケならよめると、おもうよ?』


 ロアンがリィケにそう言っていたが、やはり微塵も読めずに困り果てていた。


 魔導書、聖書物、記録書、辞典、事典、それとも……想像のつかない何かなのか。



 リィケが先にトーラストへ戻った時に、この本を研究課で調べてもらった。

 簡単に見ただけではあったのだが、呪いや他の魔法なども掛かってはいない。しかし、誰もこの本が何なのか、何語で書かれているのか判別がつかなかったという。



 まぁ、リーヨォやイリアにも分からなかったものを、オレが解読できるわけもないか…………あ、そういえば……


 ふいにルーシャの頭にレバンの顔が浮かぶ。


 レバンは神学校で『古代言語学』という教科を教えている。

 何故なら、法術や魔術の古い指南書などは古語で書かれていることも多く、それらを詳しく読み解くためにある程度の言語理解が必要になるためだ。


 先輩あたりは趣味で覚えているのもありそうだし、何か分からないかな?


 レバンは授業で教えるもの以外にも、外国語や魔法に関する古語に詳しい。この本の言語の系統くらいは判るかもしれない。


 ルーシャがトーラストの街へ戻る頃には、レバンもクラストの町から帰ってきているはずである。



 もしかしたら、本部の研究課で分かるかもしれないし…………分からなかったら、レバン先輩にも聞いてみよう。


「……ふぁ…………寝るか……」


 雑に荷物を片付けて、ルーシャもベッドに横になった。










 ――――二年と、更に二年前。つまり四年前。


 ミルズナが13才の頃。まだ『王女』とは言われずに、次期国王候補からは遥かに離れた位置にいた頃。



 神学校の学生であったミルズナは、授業の終わりにすぐに呼びつけられて馬車で王宮の敷地へ来ていた。

 しかし、彼女が呼ばれたのは城の本殿ではない。広大な敷地の端、王家が所有している森の近くの別宅である。


 …………私が行くのは来週だったはずなのですが……。



 本殿から更に馬車で十数分、ミルズナが降りた場所は赤い煉瓦で舗装された小路であった。


 ここからは馬車は入れないため徒歩での移動になる。


 午後の光が疎らに入ってくる木々の小路を、ミルズナはとぼとぼと一人で歩いていた。


 ミルズナは王族の血を引く公爵家の令嬢だ。

 本来ならば使用人を何人か連れて歩くものだが、彼女を呼びつけた主が一人で来るように言ってきた。


 しかし、彼女に危険がおよぶことはない。


 この道から先の敷地には、悪魔、精霊、魔法、獣など、あらゆるものを避ける結界が張られている。

 異常事態が起きればすぐさま兵士が駆け付けられるように、数分も離れていないところに護衛兵専用の宿舎も完備されているのだ。


 …………こんなに頑丈に護るくらいなら、本殿に部屋を作ればいいと思います。こんな離れにいるから、周りが彼を認めないのです。


 ミルズナは白い石で作られた屋敷を見上げ、心の中で現在の王宮への不満を洩らした。


 屋敷の大きさは庶民の家よりは何倍も大きいが、一般の貴族の屋敷から比べるとかなり小さい。

 ここに住んでいる人間の立場を考えると、もっと王宮の王に近い場所に住まいを構えてもおかしくはないのだ。



「これはこれはミルズナ様。よくぞいらっしゃいました。どうぞ中へ! すぐに王子に報せてまいります!」


「ありがとう」


 煉瓦の路から小さな門をくぐると、この屋敷に常駐している若い女中がすぐに彼女の元へ飛んできた。

 この使用人はいつも庭の手入れをし、ミルズナともよく顔をあわせている。素直な笑顔に好感がもてる女性だ。


 王宮の庭園と比べて猫の額ほどしかない庭は、来客があれば数秒で出迎えられるものである。


 …………いつも、問題はここからです。


 ミルズナは少しだけ眉間にシワを寄せた。




 質素だが品の良い客間へ通されると、そこにはすでに茶の準備がされている。横には中年のメイドもいた。


 私が来るのが分かっていますから……当然なのですが……。


 それでも、すぐに淹れられるように置かれたティーポットを見詰め、ミルズナは眉をひそめる。



「今、準備をしておりますので少々お待ちを」


「……どのくらいで、いらっしゃいますか?」


「ほどなくとは思いますが、申し訳ありません」


 先ほどの庭の使用人は慌てて中へ報せに走ってくれた。

 しかし、この部屋の使用人はミルズナを待たせるつもりであることが明確だ。



 客人の来訪を知っていたならば、主人にいち早く報せて客人を待たせないようにする。主の格を落とさないために、使用人が配慮するのが普通だと思われるのだが……


 たぶん、今から呼びに行ったのでしょう。だから、私にお茶を勧めてのんびり待たせるつもりですね。



「まだはおいでにならないようなので、先に紅茶をお淹れいたしましょう」


「いえ、けっこうです。私はがいらしてから、一緒にいただきます」


 ……しかも……『王子』ではなく『若様』……ですか。


 主の呼び方だけでなく、茶を用意した使用人にも不満が募るミルズナであったが、そこは黙っておく。


 目の前の使用人は、この屋敷の主とその母親に仕えてはいるが、けして全員が彼らの味方というわけではない。


 ここで少しでもミルズナが文句など言おうものなら、わざと噂を広められ「時間も守れない無礼者」や「使用人の躾もできない田舎者」などと、ここの主が他の王族や貴族に難癖をつけられてしまう恐れがあるのだ。


 半分は味方だろうが、もう半分は監視をしているのがまるわかりだった。ミルズナはうんざりしながらも、それを表に出すことなく椅子にもたれる。



 コンコンコン。


 少しして、軽いノックの後にミルズナが庭で会った使用人が扉を開いた。彼女の後ろから、小さな人影が進み出てくる。


 歳は7、8才の少年。濃いめの青や黒を基調にした軍服のような堅めの服装。漆黒の髪をキレイに整え、両眼は深紅。


 一目見てかなりの美少年といえるが、年相応の可愛さ……というものはなく、まるでの軍の将校のような厳しさが漂っていた。


「ごきげんよう、レイニール王子」


 ミルズナが立ち上がって淑女の礼をとると、少年は頷いてから頭を下げる。


「よく来てくれたな、ミルズナ。こちらの不手際で手間取った。待たせてしまって、申し訳ない」


 表情だけではなく、レイニールは話し方も完全に大人のようだった。彼と初めて話す者は一様に驚くのがである。



 ミルズナがチラリと王子と共に来た使用人を見ると、彼女は後ろに控え、泣きそうな様子で深々と頭を下げていた。


「王子、どうぞお気になさらず。私は爪の先ほども待ってはおりませんわ」


 使用人に向けてニコリと笑い、小さく頷いておく。おそらく、報せに行った彼女はちょっとした妨害に合ったのだろう。



 ミルズナとレイニールが座ると、すぐに紅茶が出される。


「……あとはもう下がってよいぞ。ミルズナと二人で話したいのでな」


「しかし……」


「聞こえなかったのか? 下がっていろ、ミルズナと話したい。用があればこちらから呼ぶ」


「承知いたしました……」


 渋々……という感じが現れているメイドは、ワゴンの上に呼び鈴を残し、庭の使用人が開け放った扉を出ていく。庭の使用人は苦笑いをしながら一礼をして扉を閉めた。




「……大丈夫でしょうか?」


「安心しろ。ここの扉に聞き耳を立てたところで、防音の結界が張ってあるからな」


「さすが王子。抜かりありませんね」


 ミルズナの一言にすぐにレイニールが答える。

 監視をする使用人対策はすでにしてあったようだ。



「それで……急に私が呼び出されたのは、一体何のためでしょうか?」


「ひとつ……確認したい。お前は余の味方か?」


「王子、ここで私は『はい』としか答えられません。腹の中で何を考えているやら……もしかしたら、味方の振りをして騙そうとしている可能性もお持ちください」


 クスクスと笑うと、無表情だったレイニールが一瞬だけ口の端を上げる。


「では、その場合は余が浅はかであったと諦めよう。味方の場合のお前には、少し手伝ってもらいたいことがある」


「はい。何なりと……」


「フム……お前には早速“覚醒”してほしい」


「はい?」


「ミルズナ、お前は【サウザンドセンス】として次期国王候補に上がり、余のになってもらおう」


「――――――はいぃっ!?」


 レイニールの顔は満面の『企んでいる』笑顔であった。









 ――――現在。連盟本部、執務室。


「ん~~っ! あー、やっと今日の分の書類が終わりました!」

「お疲れ様でした」


 コトリ……と、ミルズナの机にカップに入ったホットチョコレートが置かれる。一口飲んでふぅと息をついた。



「ふふ、ありがとう。明日はもっと忙しくなりますね。予定を組んではみましたがどうなるか………………ねぇ、ライズ?」


「はい」


「あなたは、自分の甥……いえ、姪かも知れませんが……リィケが【サウザンドセンス】だと知らされた時、正直にどう思いましたか?」


「……そう、ですね……正直に言いますと、まず甥がいたことに驚きました。あとは……本人は苦労するだろうと、思いました」


「苦労……ですか。なぜそう思いましたか?」


「ミルズナ様は、いつも気苦労が絶えませんので」


「そう思いますか」


「思います」


 ミルズナは天井を見上げてため息をつく。


「気苦労のに早く文句を言いませんとね……」


 そう呟いてホットチョコレートを飲み干すと、ミルズナは自分の机に分厚いファイルをいくつも重ねた。

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