Thousand Sense〈サウザンドセンス〉

きしかわ せひろ
きしかわ せひろ

鐘の音が聞こえる頃

公開日時: 2021年3月13日(土) 17:12
文字数:4,934

――――五年前。


「ルーシャは? まだ帰っていないか?」


 退治課の事務室に、支部長補佐官のサーヴェルトが顔を出したのは夕方。そろそろ就業時間である。


「いえ……一度帰ってはきたのですが……別の仕事に行く、と……」


「またか…………」


 事務仕事で残っていたラナロアのセリフを聞いて、サーヴェルトは片手で顔を覆う。


「今月に入って、ルーシャは何件の依頼を終えた?」


「大小合わせて、五十件はいっていると思います。そのうち出張は半数近くになります」


「そんなにか……」


 サーヴェルトは絶句した。

 そこそこ指名の入る退治員でも、月にこなす仕事はせいぜい二十数件がほとんどである。それも二人一組での仕事だ。


 現在、ルーシャはパートナーを伴ってはいない。一人でその件数を受けるのは尋常ではないのだ。



【聖職者連盟】には日々、様々な仕事が舞い込んでくる。

 予定している件数が多いのは『祭事課』であるが、予定外で来るものや、他の支部から応援を依頼されてくるものは『退治課』や『研究課』が圧倒的に多い。


『研究課』は専らデスクワークや出張なしの街中で仕事が終わる。しかし『退治課』に関しては、呪われた道具などの持ち込み以外は、ほぼ街の外の現場へ行かなければならず、常に人手不足に悩まされていた。



「一人で普通の退治員の倍。ますます目の下のが濃くなっていました。私が言っても聞く耳も持たない様子でして……」


「人員不足で他の奴が手をつけられないから、隙有らば片っ端から依頼を受けている状態か。かといって、民間からくる仕事を選り好みしていれば、他の退治員に仕事が回らなくなるからな」


 大きなため息をついて、ラナロアとサーヴェルトは顔を見合わせる。


「えーと、サーヴェルトはルーシャに用事があったのですか?」


「あ……いや、その……こんな時に、あんまり良い報せじゃないんだが…………」


 ボリボリと頭を掻きながら、とても言いにくそうにサーヴェルトは眉間にシワを寄せた。



「入院しているライズが、ルーシャとのパートナー解消と移動届けを願い出てきた」


 ルーシャのパートナーはライズであるが、彼は少し前まで学生であったため、パートナーも退治課の籍も仮のものだった。


「正式に契約していた訳じゃないから、ライズの選択を俺らが止めることはできない。それと、この話を聞いた本部が、ライズのことを欲しがっていてな…………あの子のことを思うと、トーラストから出た方が良い経験にはなるんだが……」


「ルーシャにそれを言っても大丈夫ですか?」


「分からん……」


 レイラが死んでから早一ヶ月が過ぎた。あの日からルーシャはほとんどライズに会っていない。


 本当ならば互いに支える存在のはずだ。


 しかし、ライズは両親と姉を喪ったショックで表に出ることができなくなり、ルーシャと会うことも躊躇うようになってしまった。

 そんなライズの様子に、ルーシャはますますレイラたちの仇を捜そうと躍起になるという、悪循環が生まれてしまったのだ。



「いざとなったら……覚悟しておかなきゃならんかもな」

「そう……ですね」


 二人は互いに頭を抱える。


 カラァ――――ン……

 カラァ――――ン……


 外では一日の終わりを告げる、夕方の鐘の音が鳴り響いた。










 ――――現在。時刻は早朝。


「ふぁ……朝……?」


 窓から薄く陽の光が入ってきていることから、ちょうど日の出の時間のようだ。


 少し起きるのには早い時間であるが、慣れない部屋でルーシャは目が覚めてしまい、二度寝をする気にはなれなかった。


 ベッドから出ようとすると、傍らには隣のベッドで寝ていたはずのリィケが、ぴったりとくっついて寝ている。


 夜中に潜り込んできたのか。仕方ない奴だなぁ……。


 リィケはぐっすり寝ていて、時間を考えても寝せておこうと思った。朝食の時間まではだいぶあるので、簡単な服に着替えて外へ出る。


 ルーシャは散歩を兼ねた、暇潰しに行くことにしたのだ。


 昨日、連盟本部の周辺施設は簡単に説明されていて、近くに市場などがあるのは知っていたので、庭を通って門の方へ向かった。







 すごい……まだ一番の鐘もなっていないのに。


 王都もトーラストと同じで、朝の六時に連盟本部の聖堂の鐘が鳴る。ちゃんと時計を見てこなかったが、だいたいルーシャが起きたのが五時、今が五時半くらいだろう。


 それにしても、さすが王都の市場だな……。


 ルーシャは思わず辺りを見回す。


 すでに早朝から多くの店と客で賑わっていて、この時間にくる者は出遅れた感がある。トーラストでは市場が最も賑わうのは、もう少し遅めだったように思う。


 食べ物の屋台も数多くあり、市場の商人や朝の早い労働者が店先で簡単な朝食を摂っていた。



 面白そうなものがあったら、リィケも連れてきてやるか……あいつは食べ物の屋台は興味ないから、おもちゃや古本の店が良いかもしれないな……。


 こんな朝から開いてはいないが、下見くらいはできるだろうと、やはりキョロキョロと必要以上によそ見になる。


 ドンッ!


 ルーシャが横を向いていた時、前方から歩いてきた通行人と肩がぶつかった。大きな紙袋を二つも抱えた人物だ。


「あ……! すみません!」

「いえ、こちらこそ…………」


 パチッとお互いの視線が合う。


「ルーシャ…………」

「…………ライズ?」


 同時に少しの間。


「「………………」」


 思いがけないことに、二人はしばし無言で固まった。





 結局、数分後。ルーシャはライズの荷物を半分持って、連盟の寄宿舎へ向かっていた。


「…………食事当番? 今からか?」

「いや…………俺の当番は明日の朝だ……」


 ライズは連盟職員用の独身寮に部屋がある。

 そこは昼と夜は専門の料理人が着くが、朝だけ食事が当番制で寮に住む者が交代で全員分を作っていた。


「……昼間に買い物は無理だから、当番の前日の朝に買い出しに行くことにしている」


 本当なら、当番の人間は昼間に買い物へ行っても構わないと言われた。しかしライズに限っては、さすがに昼間に王女を置いて買い出しに行くわけにはいかないので、前もって時間のある時に一気に買って厨房に置いておくらしい。


「お前……王女付きの上級護衛兵インペリアルガードで、司教の位もあるんだから厳しいだろ? 当番は抜かしてもらってもいいと思うが…………しかも住んでいるのが寮って……」


 本来ならライズのような立場になれば、王宮の中のミルズナが管理している部屋を一つくらい、与えられてもおかしくはない。


「寮住まいも当番も、俺が望んで同僚や上司にもきちんと話をしている。俺はまだ、本部から王宮の僧兵になって三年も経っていない。これ以上、分不相応な扱いをされる訳にはいかないんだ」


「不相応じゃないだろ? お前は昔から努力家だったし……」


 ライズはほとんどルーシャの顔を見ずに話している。


 その横顔はルーシャと離れてから、少しも変わらない真面目過ぎの堅い表情だった。


「………………違う」


 うつむき加減にライズは呟く。


「俺が本部で仕事があるのも、上級護衛兵インペリアルガードに成れたのも、家の…………父さんと姉さんから継いだ『聖弾の射手シルバーバレット』の名があるからだ……実力や努力で見られたらこうはならなかっただろう……」


「そんなことはないんじゃ……」


 ルーシャが言いかけた時、腕に抱えていた紙袋をライズが取り上げる。再びやっと前が見えるかどうかの視界で、ライズがスタスタと先へ歩いていく。


「もう着いたから。ルーシャも朝食を済ませてこい。リィケも独りでいるなら、もう宿に戻った方がいい…………荷物、ありがとう」


「あぁ……」


 素っ気なく言うと、ライズは寮の建物の角へ曲がって見えなくなる。やはりその前も、ルーシャと視線を合わせることはない。


「…………嫌われたもんだな」



 リ――――ン……ゴ――――ン……

 リ――――ン……ゴ――――ン……


 ルーシャの呟きと同時に、連盟の大聖堂から一番の鐘が鳴り始める。さすが王都だろう、トーラストの鐘より遥かに大きく響く。


 ルーシャはため息をつき、連盟の宿泊先へと戻った。











「う~ん……むにゅ~……」


 ルーシャが出掛けている間、リィケはぐっすりと眠りこけていた。


 リ――ン…………ゴ――ン…………

 リ――ン…………ゴ――ン…………


 遠くから聴こえる朝の鐘の音に、リィケは静かに目を開ける。いつもとは違う音だが、これが朝を告げるものだというのはよく分かった。


 もう……朝……?


 薄く開いた目に光が直接入ってくる。


 ああ、今日は天気が良いなぁ……だって、空がこんなに青いし…………空?


 仰向けになって上空を見ているリィケは完全に目を覚ました。


「うぇええええええっ!?」


 ガッバァアアアッッッ!!


 リィケは“飛び起きる”という言葉通りの勢いで体を起こし、慌てて自分の置かれた状況を確認する。


「――――なんでっ……!?」


 ――――なんで僕、外で寝てるの!?


 それ以上言葉が口から出てこない。


 リィケが寝ていたのは完全な森の中だった。


 足元は枯れ葉で埋もれ、枯れ枝も小石も雑ざってゴロゴロしている。リィケの頭上だけはぽっかり空いているが、その周りは木が生い茂り、所々に木漏れ日が射している状態であった。


 寝っ転がってここまで……は、来れないよね。

 お父さんが連れて…………来るわけない。


 起きたてでボーッとしながらも、リィケは懸命に頭を回転させようとする。


 誰かが、連れてきた……?


 寝ている間に拐われた……というのが、一番現実的かもしれないと考えた。


 でも、誰が?

 そうだ……落ち着け。ここは何処か……どうするか。


 日頃、ラナロアやサーヴェルトに困った時は落ち着くように言われていたのだ。


 リィケはまず自分の確認をする。今は武器も持たずに、服は寝巻きの上に裸足だ。足に痛みなどは感じないが、機敏に動ける格好ではない。


 次にもう一度、周りを確認してみる。


 外。森の中。枯れ枝や枯れ葉がかなりある。


 周りは木に囲まれており、あまり先まで見えない。

 しかし一方だけ、光が強く射し込んできているので、リィケはまずそちらを目指すことにした。


 あっちへ行ってみよ…………ん?


 歩んだ足に何かがぶつかり、何だろう? と思いながら、足元の枯れ葉を払ってみると…………


「うわっ!?」


 思わず声が出て、リィケは慌てて両手で口を閉じた。


 枯れ葉の中から現れたのは『顔』である。


 いや、顔のように見える丸い塊で、目のように丸い窪みと、口のように真横に切れ込みが入っている『人形の頭』だった。


 よくよく見ると、木のような粘土のようなもので造られているようだ。顔の造形はかなり雑である。


「………………よいしょ……」


 ビックリしながらも、じっと見るとあんまり怖くないと判断して、リィケは足元の頭を持ち上げた。思ったよりもかるく、下に胴体らしきものは見当たらない。


 …………リーヨォの部屋にあった【操り人形マリオネット】に似ているなぁ。


 リーヨォは人形使いドールマスターである。

 彼の研究室には、色々な材質で作った人形が置いてあった。その人形に魔力を込めると動くらしいが、リィケは見たことはない。


 確か、悪魔にも『操り人形マリオネット』っているんだよね……?


 悪魔の場合は人形に悪霊が憑いた場合である。


 …………まさかこれ、動くのかな?


 リィケは首だけをそぉ~と動かし、改めて自分の足元の周りを確認した。よく見ると、この人形一体だけでなく、何体分もあるように体の部品が数多く散らばっている。


 …………これ動か……ない、よね? 


 急に恐ろしくなり、頭を下に置いて静かにその場を離れようと思った。とりあえず、光が入ってくる方へ向かう。


 サク、サク、サク…………


 枯れ葉がかなり積もっているので、小気味いい音が聞こえてきた。


 サク、サク、サク、ガシャ、サク、サク……


「…………?」


 サク、サク、ガシャ、サク、サク、ガシャ……


「~~っ…………!?」


 サク、ガシャ、サク……サクサクサクサク!!


 ガシャ、ガシャガシャガシャガシャ!!


「――――うにゃあああああっ!!」


 叫びながら、ひたすら前を向き全力で走る。


 絶っっっ対、何か付いてきてるぅっ!!


 木の間から見える陽の光が強くなってきた。

 もし、後ろにいるのが悪魔なら陽の光に怯むかもしれない。


 ガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャ――――――ガシィッ!!


「っ!? ――――『痛っ』!?」


 何者かに思い切り腕を掴まれ、リィケは『痛み』で思わず後ろを振り向いた。

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