うだつの上がらないエッセイ集(2)

思いつきで気楽に更新します。基本的に一話完結なので、お好きなページをご覧いただけると嬉しいです。
月澄狸
月澄狸

夢中に霧中

公開日時: 2023年6月23日(金) 10:13
文字数:3,314

 以前テレビで見た狩人が、鹿を仕留めた後、鹿の口に葉をくわえさせて、「こうすればこの鹿の魂は、あの世で食うに困らないと言われている」と弔いながら泣いていました。

 あと、テレビで見た害獣駆除のハンターの人が元々動物好きで、殺した害獣を捨てるのではなく料理などに使ってもらおうとしていて、「なぜ動物の命を奪って生きてゆくのか、これからも考えてゆく」みたいなニュアンスのことをおっしゃっていました。

 命に対して、さほど何とも思わずに殺している人もいると思いますが、葛藤を持ちながら殺している人は美しいですね。


 私は近年植物にあまり興味がなかったのですが、これは植物を育てようとして枯らしまくったことへの後ろめたさであったり、一生懸命生きている雑草を刈らなければいけないのが悲しいから、雑草の魅力に気づきたくないということだったのかもしれません。でも時折草を眺めたり撮ったりします。最近では朝ドラの影響と、春なので野草の花が多かったこともあって、よく写真を撮っていました(もう初夏ですね)。



 久しぶりにウスジロノゲシを見たいと思い、何年か前に生えていた場所に見に行ってみたら、やっぱりそこに生えていたようでした。しかし午後に歩いていると咲いているノゲシがいなくて、「まさかもう花期が終わった? でも蕾はあるのに咲いている花がない、なぜ?」と焦りました。

 で、家の窓から見えるノゲシを見ていて、「ひょっとして朝にしか咲かないのか?」と気づきました。朝というか午前ですが……。自分の中では四六時中咲いているイメージでした。いつも見ている生き物のことでさえ、あまり気づいていないもんですね。セミも時間帯や時期によって鳴き分けているそうです。


 ほんの少し、いつもの通勤路と違う道を通るだけで生えている植物の種類が変わります。個人的に少しレアだと感じるシロバナタンポポやウスジロノゲシの生えているエリアは、何年も変わりません。植物って興味深いです。

 ただ……。生きているものを何日も見たりすると、生えている場所を覚え始めるし、「この子はここまで成長した」と分かってしまうと愛着が沸き、草刈りが辛いですね。写真を撮った子たちはみんな刈られてゆきます。自分でも草刈りをしないといけません。


 いつか草むしりという文化? 習慣? がなくなってほしいです。草木が生い茂ると人間が歩きにくいのでしょうが、人間が住みにくいからという理由で自然を潰していくことは、かえって自分たちの首を絞めるということが分かってきています。今は雑草……特に現代のように外来種だらけの草むらは価値がないと思われているようですが、雑草にも何か大切な役割があるのではないでしょうか……。

 というか、意味とか役割とかそんな打算的な理由で、「役に立つから生かしておく」「役に立たないから殺す」などと考えたくないですね。


 アスファルトや、品種改良した植物で大地が覆われているより、外来種が咲き乱れている方がまだ「自然」なのでは? 人種差別をやめ、人間の行き来や生き方が自由になってほしいように、生き物たちも自由に……。

 でもこの星だと弱肉強食があるから、ハブ退治に放ったマングースが在来種を食べまくってしまった問題など、難しいですね……。「ウサギの島に虎を放ったら可哀想」みたいな。でも難しいからって、人の手で何でもかんでも殺して解決というのもおかしいような。

 本来なら土に返るはずだった植物をゴミ袋に詰めて、燃えるゴミに捨てまくったり。本来のサイクルと違うことを続けていて、地球環境が守られるものでしょうか。地球にとっては悠久の時の中で生えているのが在来種だろうが外来種だろうが関係なく、そこに「生き物たちがいる」ことが重要なのでは? だってすべての生物がアメーバみたいな微生物から進化していったのなら、究極、微生物だけでもいれば、地球の生物多様性は遠い未来で復活するってことじゃないですかね。完全に壊してしまうようなことさえしなければ。



 すべての魂が尊ばれる世界を目指したいのです、本当は。さらに言えば、種類だけでなく個体を愛したいです。私たちは人間である以前に「自分」であり、生き物たちにも個々の精神性があるのではないでしょうか。

 いつか星ごと滅ぶなら、人類が生きている意味はおろか、この地球に生命があった意味だって、ないと言えばないですよね。恐竜達が存在し、滅びたことも。じゃあもう地球環境だって限られた時間なのだから、生き物たちの自由にさせてあげたい。できれば……。


 で、すべての命を尊びたいといえば、まず自分がすることは……。



 人間不信はしばらく放っておいていい気がします。時代が進むにつれ、勝手に人間の精神性が高まっていっている気がしますが、今はまだ気を抜けない。だからこじらせているとしても被害妄想でも、適度な警戒心を持つことは今のところ必要だと思います。警戒心をこじらせた差別は嫌だけど。


 人間関係は難しいし、気が合わないので置いておいて。

 生き物に対して……「殺しながら愛する」ことは可能でしょうか。この目で成長を見守った草を抜く。それでも愛している、と。

 そして今のレベルでできることといえば。できれば殺さないようにしたいです。人一倍肉が好きで、食べてるけど。できる範囲で。



 私の好きなマンガ「BEASTARS」で、主人公は最初、醜い本性を包み隠したような世界の闇を知り、本能を抱えた自分を含め、世界に嫌悪感を示しているように見えました。が、最後には「不完全なこの世界が好きだ」というスタイルに変わっていた気がします。

 宮崎駿監督の世界観にも若干それを感じます。ナウシカは、蟲を殺し世界を滅ぼしてしまいそうな人類を憎んではいません。ハイジも(あれは高畑勲監督だったかな)、ヤギを殺すことなどに抗議しますが、人類を憎んでいません。もののけ姫でも共存を探る。ポニョでも、漁で捕まりそうなシーンとか、海底のゴミとか描かれていた気がしますが、やることは「人類への逆襲」ではありません。


 ナウシカやアシタカやハイジの、中立性(?)が良いですね。

 もののけ姫は人間でありながら人間を憎む。葛藤や自己嫌悪もあるのかもしれないけど……。


 種族関係なく、片側に肩入れしすぎると、片側を憎んでしまう、あるいは軽んじるんですよね。

「人間のために」を優先すると生き物を殺し、生き物好きをこじらせると人間社会を恨む。現代の人間の考え方も、そういう傾向がありますね。



 ウスジロノゲシたちを探しに行ったときに、ちょっと林っぽい道を通ると、頭上を様々な虫が飛び交い、羽音に囲まれました。

 私は羽音が苦手です。種類が分からない、どこから虫が来るか分からない、恐怖心があります。

 以前この道ではイラガの幼虫が落ちてきました。アシナガバチもたくさんいます。でも「共存」などと奇麗事を言うならば、まず本当に共存したらどうなるかを体感しなければなりませんね。

 ってことでハチの飛び交う林めいた道で訓練(?)です。やっぱりハチ・アブ・イラガ・カメムシが怖いです(昔カメムシに刺されて痛かった気がするから)。


 ちょっと林めいた道といっても、向こう側が透けて見える程度の林感です。どこまでも続く広大な森ではないはず。それでもここには虫が多くいます。

 ってことは本当に自然化したらこんなもんじゃ済みません。マジでナウシカやもののけ姫の世界かも。

 いや、ナウシカやもののけ姫ではまだ生き物と言葉が通じるから、現実の難易度はきっとそれ以上ですね。弱肉強食の掟もあり、「人間だけが食われない」という不平等なルールも存在しません。



 自然との共存……

 肉食の終了……

 草食もやがては終了……


 どこまで行けるんでしょうか?

 現段階で私はまだ、ベジタリアンになれていません。お肉がおいしい。偏食のせいか、肌荒れがひどいですが。


 この間も価値観の相違で、人とちょっと険悪モードになりかけました。私はまだまだ全然だけど、自分が間違っていることを認められません。もしかしたら以前誰かから言われたように、プライドが高いのかも。


 なんだかイライラしていて、自信がなくて、心細くて、それでいて実際の態度は横柄で、まだ先は見えません。




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