ダジュームの人間と、裏の世界のモンスター。
この両者の立場は違う。はるか昔から人間とモンスターは争う関係であり、その力量差は圧倒的にモンスターが有利であった。
それは今も変わらず、勇者たちは魔王討伐を唯一の平和を取り戻す手段として掲げている。勇者という存在が、ダジュームでは希望であった。それは正義と悪という、人間が求める図式に当てはまるがゆえに。
だがこの不変と思われた関係性に、モンスター側では異変が起きていた。
これまでと変わらず人間と戦いダジューム征服を目指す参謀ランゲラクと、人間との協和を求める魔王ベリシャス。
表面上は同じ魔王軍でも、思想は正反対であった。
もちろん、ダジューム側はそんなことは知らない。モンスターはモンスター、魔王軍は魔王軍である。
いつも通り、勇者はモンスターと戦っている。モンスターというだけで、すべては悪というレッテルはそう簡単に覆すことはできない。
この両者の思惑や関係が歩み寄ることはできるのだろうか。
正解はどこにあるのか。
平和とは、何を意味するのか。
そして、人間でもモンスターでもないアイソトープの役割とは――。
協和を願うのは魔王ベリシャスだけではない。
少なくとも俺も賛同しているし、妖精の森のシャクティや、スキル教習所で働くジョージもそうだ。
そして、シャルムも――?
俺は今、ダジュームと裏の世界をが繋がろうとしている過渡期に存在しているのかもしれない。
どちらが正義でどちらが悪か。
シールを貼るように、色を塗り分けるよう、箱の中に仕分けをするように、それができればどれほど簡単だろうか。
今の時点で、それは誰にも分からない。
誰かを疑うこと世界を混沌に誘うとしたら、早くこの状況を変えなくてはいけない。
だから俺は、自分だけを信じて前に進むことしかできない。
「まずはダジュームからすべてのモンスターを撤退させてはどうか? こちらの誠意をわかりやすく見せる必要があるのではないか?」
ドン、と机にこぶしを叩きつけたのは最年少のレイだった。
金髪で端正な顔立ちをしているが、言いたいことははっきりと物言う青年であった。一見するとスマートな体型ではあるが、背中に背負う大きな斧が彼の得物である。戦場に出るとまるで旗でも振るうように軽々と斧を操り、誰をも近寄らせない颯爽とした立ち回りをするとは想像できない。
「それは現実的ではない。ダジュームにはランゲラク軍のモンスターも数多くいる。それらを引き揚げさせることで魔王様との対立を加速させてしまう恐れがある。それに完全撤退という事実を作ってしまうと、今後の魔王軍の沽券にもかかわる」
腕を組んで若者の意見をはねのけるのは、ウェインライトだ。体中が傷だらけの男で、左右の瞳を真横に横断する傷跡が生々しく、視力は完全に失っている。しかし常にオーラを放出することにより視野を確保しており、誰が彼を盲目の剣士だと思うだろうか。腰の長剣が鞘から抜かれた姿を見たものはいないと言われている。その刃先を見た者は、例外なく葬られているからだ。
「ならばいっそランゲラクを先に……」
「それ以上はならんぞ、レイ!」
若さゆえに逸るレイを叱咤して止めたのは最年長のギャスであった
「ランゲラクとて同じ魔王軍であることを忘れてはならぬ。ここで魔王軍内部で混乱を起こしては、魔王様の意向に背くことになる。ダジュームの情勢にこだわりすぎて魔王軍を顧みないなど自らを滅ぼしかねない。我らが一丸とならずしてどうするのだ」
静かに落ち着いてレイを説くギャスは、黒いローブをまとった魔法使いであった。今も体の両側にダイヤ型の無機質な物体が二つ浮かんでいるのは、彼のビットである。これを自在操ってオールレンジで魔法を仕掛ける。特に攻撃魔法に特化したその戦い方は、従来のひ弱な魔法使いのイメージを突き抜けていた。
――ここはスキル教習所内の会議室。
円卓を囲み喧々諤々の議論を行う三人、レイ、ウェインライト、ギャスはモンスターであった。見た目は人間のように見えるが、れっきとした魔王軍の幹部だった。
この三人は魔王軍の中でも魔王ベリシャス直属のモンスターで「魔王の三本槍」とも呼ばれ、魔王軍の中でも有数のレベルを備えていた。
そんなボスレベルのモンスターがなぜスキル教習所にいるのか。
休暇という名目で教習所に併設されている魔王軍の別荘に訪れていた。もちろん、本気のバカンスではない。実のところはベリシャスの命を受け、ランゲラク軍に見つからないようにダジュームとの協和をどう進めていくかの話し合いを行っていたのだ。
この別荘はベリシャス側のモンスターが実を隠す、いわば隠れ家的な役割も果たしている施設だった。
そして同じ席に、なぜか俺もいるわけで……。
さっきジョージと話した後に部屋へ案内されたのだが、ちょうどこの三人が会議を行うという連絡が入ったのだ。
悪い予感がした俺はさっさと部屋に引き上げようとしたのだが、この三人がぜひ俺に会いたいと言い出して、無理やり連れてこられたのである。かなり迷惑な話であった。
「魔王様の来賓であるケンタ殿はどう考えるか?」
盲目のウェインライトから急に話を振られ、俺はびくっと背筋を緊張させる。閉じたままの瞳に睨まれて、俺は身を固める。
どうやら魔王からも俺のことは話がいっているみたいだった。来賓とかそんな畏まったものではないが、無難に話を合わせておこう。
「いや、俺は、その……」
このような議論は昔から苦手であった。高校のホームルームでも意見を求められないように、気配を消していたくらいなのに、今はこんな恐ろしいモンスターに囲まれて堂々と話す胆力は俺にはない。
俺は【変化】のスキルを学びに来ただけなんですけど、そんな難しい話は勘弁ねがえませんかね?
「アイソトープという立場で忌憚のない意見を聞きたい。我々モンスターだけではどうしても視点が偏ってしまう。我々が今必要としているのは対話なのだからな」
レイまでも、俺に発言を促してくる。
流石に魔王の来賓を無視するわけにはいかないので気を使ってくれているのかもしれないが、こうやってアイソトープの俺を尊重してくれるのはありがたい。
ベリシャスがスキル教習所は安全だと言った理由が分かった気がした。この三人のモンスターは、本気で人間とモンスターの協和を願っているようだった。
もしかしてベリシャスもこの三本槍と俺を会わせたかったのか……?
「俺も力でぶつかるのは良くないと思いますけど……。暴力による征服は憎しみしか生みませんし」
憎しみの連鎖を止めるという、シャクティの受け売りだった。だが今の俺の行動指針であることに変わりはなかった。
「うむ。ケンタ殿の貴重な意見だ。今は人間たちにモンスター側も対話をする意思があることを知らせなくてはいかん。それはランゲラクに対しても同じかもしれぬ」
俺の発言を好意的に受け取ったギャス。
「しかしギャスよ。魔王様の協和の意向をランゲラクが飲むとは思えん。あやつは先代のころからとにかくタカ派で、虎視眈々とダジューム征服を狙っているのだぞ。チャンスあればダジュームに攻撃を仕掛けようとしておる。先日のデンドロイでの勇者との戦いを見たであろう」
ウェインライトも思うところがあるらしい。
デンドロイでの戦いとは、俺の【蘇生】スキルを求めての戦いであったのだが、そのことをこの三人は知っているのだろうか?
とりあえず俺はここは黙っておこう。
「あれは勇者のほうから仕掛けてきたと聞いたが? ランゲラクも今は魔王様の手前、ダジュームで堂々と勇者と戦うわけにはいかないだろう。己の実力を過信した勇者の暴走だ」
「案の定、勇者は手も足も出なかったみたいだな。勇者を殺すわけにはいかないので、ランゲラクのほうがこっちに戻ってきたみたいだが」
「ランゲラクとて、弱い相手との戦い方を心得ていないと見える!」
勇者クロスのことを物笑いの種にして、三本槍たちは豪快に笑い合った。
そりゃあんたらみたいな大ボス級のモンスターには、あの勇者が勝てるわけないでしょうよ。
しかしダジュームの希望とされている勇者をバカにされて、俺は少しカチンと来ていた。俺だったあの勇者クロスのことはあんまり好きじゃないけどさ。
「だが勇者は勝った気でいるらしいぞ? この状況でこちらから対話を申し込んでは、我々も日和ったみたいではないか?」
レイはどうにもダジュームに対して、魔王軍としての体面が気になるらしい。
「こちらからではなく、勇者側から休戦なりの申し入れがされるのがベストなのだがな。そうなれば協和へと動きやすい。ランゲラクへの体裁もたつしな」
ウェインライトもこちらから対話を申し込むつもりはなさそうだった。
「しかしあの勇者がこちらに休戦を申し込んでくるとは思えんな。このままではいたずらに時間だけが過ぎるだけだ……」
ギャスも、二人の意見を尊重するが、黙ってしまう。
三本槍の議論は堂々巡りであった。
誰も間違ってはいないし、人間との協和というゴールを共有はしているのだが、その道筋がはっきりと定まっていないのだ。
現状ではランゲラク軍をどうすることもできないし、下手に刺激をして魔王軍が真っ二つなることは避けねばならない。そうなると、ランゲラクは堂々とダジューム侵略に向かうはずだ。今はベリシャスの魔王軍の中にいることで、表面だった行動を抑えられているのだから。
だが魔王軍としても、自分たちから勇者に頭を下げるのを嫌がっているようで……。
「勇者に接触するしかあるまいか」
ギャスが声をひそめ、前かがみになる。
「勇者に?」
ウェインライトが繰り返す。
レイは黙って、ギャスの言葉を待っている。
ついでに俺もそわそわしながら、場違いな感じを隠そうと眉間に皺を寄せていた。
「簡単なことだ。勇者を拉致し監禁してしまえば、勇者とて弱音を吐いてこちらに対話を申し込んでくるだろう。そこで我々が休戦を受け入れればよい」
「そんなの、対話でもなんでもないでしょ! ただの脅迫じゃないですか!」
ギャスの提案に、俺は反射的に突っ込んでしまった。
「ケンタ殿、脅迫とは人聞きが悪いな。これもダジュームのための話し合いではないか」
まさかいの一番に俺が反対するとは思いもしなかったのだろう。ギャスが不満げな表情を見せる。
「拉致監禁して、どこが話し合いなんですか!」
結局は実力行使をしようとするモンスターたちに、俺は呆れかえる。
「だがまともに接触して対話などできぬぞ? 我々にも立場がある」
「それは勇者も一緒でしょ! 対話だとか勇者のためとかダジュームのためとか、そんなこと言いながらさっきからあなたたちは自分たちのことしか考えてないでしょ? これまでダジュームに対してやってきたことを棚に上げて!」
ダジュームのに対して対話や協和を望みながら、やろうとしていることは力での支配なのだ。
俺はついにカチンと来て、言い返す。
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