護衛団団長とデーモンの勝負は一瞬でついた。
いや、決着させたのだ。
「うぎゃぁぁぁ!」
俺はその場で仰向けにぶっ倒れた。砂埃を巻き起こしながら、ジタバタと地面をのたうち回る。
ちらっと片目を空けて見上げると、そこには剣を振りぬいたボジャットが立っていた。
――生きているな?
それを確認して、俺は動きを緩める。今度はぴくぴくと、瀕死を装う。虫の息というやつを演出し、まもなく俺はぴたっと動きを止めた。
完全に沈黙、すなわち死んだふりである。
遠くでは勝利を確認した団員たちの歓喜の声が上がった。
しかしボジャットは俺の姿を確認しつつ、どこか間が悪そうに、不思議そうな顔をしていた。
それもそのはずだ。ボジャットの一撃は、俺にかすりもしていなかったからだ。そのことがわかっているのは、俺とボジャットのみ。
俺はボジャットの攻撃を薄紙一枚の距離で避け、ノーダメージのまま倒れたのだった。
攻撃を受け切っても、おそらく鼻血を出すくらいのダメージだったろう。しかし、ボジャットがただでは済まなかった。剣にまとわれたボジャットのオーラを使い果たすと、彼自身はもう抜け殻となって死んでしまう。
必死の攻撃が成功しなかったことで、剣にまとったオーラは無事にボジャットの体へと戻っていった。
すべてを理解したボジャットの目は、死んだふりをする俺に向けられている。それは恐怖でも覚悟でもなく、虚無。
こうするしかなかった。
俺の行動はボジャットを傷つけてしまったかもしれないのだが。
「な、なぜ……?」
そしてボジャットはぽつりとつぶやいた。
なぜ死んだふりをするのか、と聞きたかったのだろうか。
しかしこのまま俺も死んだふりを続けるわけにはいかない。後ろの団員たちはこのまま寝かせておいてくれるとは限らない。
人間の恐怖とはすなわち猜疑心が膨大化したものであり、俺の死を確実なものにするために追い打ちをかけてくるかもしれない。死体に鞭打つような行為は、絶対に勘弁してほしい。
ペリクルは死んだふりをしておけと言っていたが、あいつが帰ってくるまで俺も耐えられるかどうかわからないぞ?
(ボジャットさん……)
俺は佇むボジャットに、ついに声をかける。
彼ならばきっとわかってくれると信じて。
「……!?」
俺のささやきに耳を疑ったのか、ボジャットは肩をびくっと一度震わせた。
(話を聞いてください。俺はケンタです! ハローワークにいた、あのアイソトープです!)
俺は対話を試みる。
デーモンになってしまった俺だからこそ、人間とモンスターの可能性を探りたかった。
本当に人間とモンスターはわかりあえるのか?
話し合いで問題を解決することはできるのか?
争いをやめて、共存することはできるのか?
憎しみの連鎖を止めることはできるのか?
ぴくりと左腕を動かし、あの黒い腕輪が付いていることをボジャットに気づかせる。今俺がケンタであるという証拠は、この腕輪しかないのだ。
放心状態だったボジャットも、俺の左腕に視線を移した。
(こうなったのには理由があって。実はある妖精を探していて……)
「妖精……」
ボジャットが反応を示す。だがその目は俺、ケンタを見る目ではない。まだ恐ろしきモンスターを見るものだった。
「団長!」
俺たちの対話が始まって間もないうちに、団員たちが駆け寄ってきた。
ボジャットを囲みその勝利をたたえる者、そして大の字でくたばる俺を汚いものでも見るように見下ろす者。
俺はじっと、地面に倒れたまま死んだふりを続ける。
「こいつ、どうします? 焼いてしまいますか?」
案の定、団員の一人がそんなことを言い出す。
こら! 簡単にモンスターを火葬しようとすな!
「そこまでする必要はない! モンスターといえど、その死は尊重せねばならん」
ボジャットが、すぐさま却下した。
俺はほっとするが、それは俺がケンタを名乗ったことが影響しているのだろうか?
「このモンスターの処置は国に確認してからだ。とりあえず独房に入れておけ。以上」
ボジャットの命令に、数人から悲鳴が起きたが、逆らうことができる者はいなかった。俺は数人の団員に担ぎ上げられ、台車に乗せられて町の中へと運ばれたのだ。
それはちょうど夜が明け、あたりを朝日が照らし始めたときだった。
こうして俺もアレアレアの町に入ることができたのだが、それは厳重に見張られた地下深くの独房の中だった。
死んだふりを続けるのは、わりと難しいものである。
もし俺が捕虜であったならば、きちんと三食与えてもらっていたのだろうが(このダジュームにジュネーブ条約のようなものがあるかは知らないが)、誰も俺が生きているなんて思ってもいないので、基本的にはほったらかしである。
しかし独房の前には見張りがおり、俺は寝返りさえ打つことができなかった。死体を保管しておくには厳重すぎるが、これはボジャットの命令らしく、監視させられている団員は気の毒でもあった。
さて、どうするべきか……。
あれだけの大立ち回りをしたからには、きっとペリクルにも俺がここに入れられていることは耳に入るはずだ。あいつが助けに来てくれるとは思えないが……。
やはりペリクルが情報収集をしたのちに、俺単独で脱出するしかないのだろう。もしかしたらすでにホップを見つけてしまった可能性もある。
あとは俺がそのタイミングをどうやって知るかだけなのだが、そればかりはこの発達したモンスターの五感を用いても容易ではない。
おそらくちょうど一日くらいが経ったであろう。
この独房に下りてくる足音が聞こえた。見張りの交代の時間だろうか。目を離したすきにちょっと体勢を変えようなどと思っていたら、ガチャンと独房の鍵が開く音がした。
これまでモンスターの死体に近づく者など誰もいなかったので不審に思い、うっすら目を開ける。
「お前は、本当にケンタなのか?」
やってきたのはボジャットだった。
俺は周辺の様子を探る。まださっきの見張りがいたら、面倒くさいことになる。
「大丈夫だ。今は私しかいない」
俺のことを察知したのか、ボジャットが教えてくれる。こうなると、もう信用してもいいだろう。
何せ俺はこのアレアレアの危機を、微力ながら救う手助けをしたことがあるのだ。
「ボジャットさん……」
俺は固まった体をようやく起こす。
これには声をかけてきたボジャットが身を逸らして驚いたようだった。本当に生きているとは思っていなかったのだろうか。
「本当に、あのケンタ……、なのか?」
ボジャットは反射的に腰の剣に手を置きそうになったが、ぐっとこぶしを握った。
俺はそれだけで十分だった。
「今は証明するものはこの腕輪しかありませんが……。それとも、以前この町で起こったスネークさんの事件の真相でも話しましょうか?」
俺は左腕の腕輪を見せながら、公表されていないアレアレア事件のことを持ち出した。
「……いや、信じよう。実は妻から話を聞いたのだ。君と一緒にいた……、ペリクルという女性のことを」
「ペリクルが? ミネルバさんと会ったんですか?」
ミネルバというのはこのボジャットの奥さんであり、俺たちと同じハローワーク出身のアイソトープであった。
今はカリンと一緒にガイドをしていると聞いていたが……。
「ということは、ペリクルはカリンと会ったんですか?」
「ああ、そうだ。そこにミネルバも同席していたらしいのだ。君たちがホイップという妖精を探していることは聞いた。そして君が……、ケンタだということもね」
ボジャットはまだ信じ切れないという、複雑な表情をして見せた。
そりゃそうだ。アイソトープが、なぜか今はデーモンになっているのだ。いくら魔法が普通に存在する世界であったとしても、さすがに荒唐無稽すぎる。
「まあ君にもいろいろあるのだろうから、その姿の理由は聞かんことにするが……」
「ありがとうございます。あの、これは期間限定の姿みたいなものでして……」
俺は照れ笑いを浮かべるが、デーモンなのでどんな表情になっているのかわからない。きっと気持ち悪いことだろう。
「そうか。それで安心した」
ボジャットはそう言って、すっと一歩下がった。
「……やれ」
「へ?」
油断をしていた。
檻の向こうから青白いオーラが俺に向けて飛んできたのだった。そのオーラが何かを怪しむ前に、一瞬で俺の体を包み込み、自由を奪われてしまった。まるで蜘蛛の糸に捕縛されたかのように、俺は床に転がってしまう。
檻の外に、数人の魔法使いが隠れていたとは思わなかった。
「ボジャットさん……?」
俺はまんまと騙されたのだ。
ボジャットならば理解してくれる、対話ができると考えていたのは完全な俺の甘えだった。
「すまない、ケンタ。私にはこうすることしかできない」
くるっと背中を見せるボジャットを見上げることしか、俺にはできなかった。
「勇者に、頼まれたんですか……?」
「私の立場をわかっているだろう。指名手配されているケンタが町にやってきたとしたら国に報告する義務がある。もう抵抗はできない。しばらく眠ってくれ」
彼は国に仕える、護衛団の団長。
俺が勇者から全世界指名手配されている身であることも知っており、そのお尋ね者を見つけた際にとる行動がいかなるものか、俺は想像できていなかったのだ。
これじゃ税務署の前で脱税の話をするようなものだよ!
「ボ、ボジャ……」
すると魔法使いが檻の中に入ってきて、動けない俺の顔に手のひらをかざした。
「【睡眠】!」
そして次の瞬間には、顔面が温かい煙に包まれた。
俺の意識はそのまま、飛んでしまった。
まさかボジャットに捕らえられることになるとは!
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