帰りの馬車。
ホイップは運転席のスマイルさんのところに行き、荷台には俺とカリンが向かい合って座っている。
俺は眠ったふりをして、ずっと目を閉じていた。
カリンも無表情で窓の外を眺めている。
首都を出発して、そろそろ一時間くらいは経っただろうか。薄目を開けると、そろそろ日が暮れそうだ。
あと四時間、俺は無言で逃げ続けるつもりだった。
俺という存在のすべてから。
結局俺は何の力もない、ただのアイソトープだと再確認した。
きっと【蘇生】のスキルも何かの間違いだったのだし、今後こういった勘違いが起こらないようにしなければいけない。
行動力のある無知なバカほど、手に負えないのは分かっている。
そう、さっきの俺みたいに。
自分が一番嫌う存在に、俺自身がなってどうするんだ。
俺なら死者を生き返らすことができるなんて、なんて大それたことを考えてしまったのだろうか。
もうカリンやホイップに合わせる顔もない。
事情を話すことすら、するつもりもない。
向上心なんて抱く権利すらなかったんだ。
あと三時間。
俺は眠れそうにない。
記憶から消そうとしても、今日の出来事は消えることはないだろう。
なんであんな出しゃばったことをしてしまったのかと、後悔だけが俺の胸に刻まれ続ける。
俺はそういうことをするキャラからは一番遠い性格だったはずだ。
慎重に、事なかれ主義で、いつでも逃げだせる準備は怠らないで生きてきたはずなのに。
なのに、勘違いしてしまったことが、すべてを狂わせた。
過去の経験で勘違いした哀れな男なんだ。
あれから、カリンたちといくつかアトラクションを回ったが、楽しむどころではなく、あまりそのことも覚えていない。
何よりもカリンに申し訳ない。このテーマパークをずっと楽しみにしていたはずなのに、俺がこんな状態で、気を使わせてしまった。
きっと今も、俺に対して不満を抱いていることだろう。
楽しい思い出になるはずが、思い出したくもない一泊二日にしてしまった。
ぜんぶ俺の責任だ。
あと二時間。
俺は消えてしまいたい。
明日からはまた裏山で薪拾いの日々が始まるのだろう。
アレアレアへの配達のバイトは先週で終わり、何の予定もなくなってしまった。
もちろん魔法や戦闘の訓練なんてする気もないし、シャルムも今の俺にそんな過酷な訓練を課すつもりもないだろう。
あの【蘇生】スキルもたった一度のフロックだったか、もしくはただの間違いだったのだから。
俺みたいななんのスキルもなく、将来性もないアイソトープに時間をかける価値はないだろう。
繰り返しの毎日でいい。そのほうが何も考えなくて済む。
ジョブもスキルも俺には必要ない。
ただ毎日をすり減らすだけ。
それが俺のダジュームでの生活になる。
それだけでいい。
それしかできない。
あと一時間――。
「ケンタくん、ごめんね」
ここまで四時間余り、寝たふりを続けていた俺に、カリンが突然話しかけてきた。
寝たふりがバレているとは思っていたが、今さら話しかけられるとは思わなかったので、俺は肩を反応させてしまった。
それよりもなぜカリンが俺に謝るんだ?
だが俺はそんな言葉に応えることはできないでいると、カリンは続ける。
「私、自分のことばっかで、ケンタくんのこと何も考えてあげられなかったね」
そう言いながら、カリンが鼻をすすった。
まさか泣いているのか?
なんでカリンが……。
悪いのは全部俺なんだから!
「会議で大変なことわかってて、私ばっかりはしゃいじゃって……。ケンタくんの気持ち、全然見てなかったよ……」
そんなことない!
弱い俺はそれでも口に出すことはできず、相変わらず目を閉じていた。
とっくに俺の狸寝入りなど見抜かれていたのだろう。
カリンに責任を感じさせている俺は、もう人間失格である。
「ケンタくんが背負ってるものや、やりたいことなんて無視してたんだ。それでケンタくんを追い詰めちゃったことも知らずに……」
薄目を開けると、カリンは涙をぬぐっていた。
「悪いのは、ぜんぶ俺なんだよ!」
さすがに俺は、黙っていられなかった。
俺のせいでカリンを悲しませるわけにはいかない。
「……ううん、そんなことない。だって今のケンタくん、すごく落ち込んでる」
首をぶんぶんと横に振るカリン。
その眼にはうっすら涙が残っていた。
「カリンのせいで落ち込んでるんじゃないよ。俺が、あまりにも無力だから……」
シリウスのことや、【蘇生】スキルのことは言うべきじゃないことはわかっている。
そうなると、俺は何も話すことはなくなるのだ。
まるでカリンに嘘をついているような、そんな気分になる。
何も言えないつらさは、俺を苦しめる。
「ケンタくんが色々抱えているのは知ってるよ。もちろん私たちに言えないようなこともあることは理解してるつもり。でもね、でも……。一人で悩んでるケンタくんを見てるのは、私もつらいんだよ」
窓の外はすっかり夜になっている。どこを走っているのかもわからないが、窓から差し込む月の明かりが、カリンの涙を照らす。
「ケンタくんは無力なんかじゃないよ。昨日の会議だってそう。今日もわがままな私に付き合ってくれたし、ちゃんと配達の仕事もしてきたじゃん?」
「仕事って言ったって、短期バイトだし、もう終わっちゃったよ」
「それでもちゃんと一か月がんばったでしょ? 私、見てたから。ケンタくんが頑張ってるところ、ずっと見てたから!」
「……カリン」
俺はようやくカリンの顔を、ちゃんと見ることができた。
そこにはいつもの笑顔のカリンがいた。
「私たち、家族だってケンタくんが言ってくれたんだよ? 私もこのダジュームに転生してきて、一人だったらきっと生きていけなかったと思う。ケンタくんやシリウス君がいてくれたから、ここまでやってこれたの」
――家族。
俺が発したこの言葉が、俺たち三人の絆になっていた。
だからこそ、俺はカリンやシリウスを悲しませたくなかった。
それはカリンも同じことだった。
「だから、ケンタくんも無理に話さなくていいし、私も無理に聞こうとしない。でも、本当につらいときは、相談してほしいよ」
そっと、カリンは俺のひざに手を置いた。
「つらいときにつらいって言えって、私にそう言ってくれたのはケンタくんだよ?」
それはカリンが一人で夕食の材料を取りに行って、足をくじいたときだった。
カリンをおんぶしながら、俺が言った言葉を、忘れるはずもない。
もちろん俺の本心であり、それが今、俺自身に返ってきたのだ。
「ありがとう、カリン……」
俺もそっと、そのカリンの手の上に、手を合わせる。
「俺も、がんばるよ」
ようやく、その一言が言えた気がする。
逃げることを前提に生きてきた俺が、忘れかけていた「がんばる」ことの意味。
何も力がなくたって、いいじゃないか。
俺にはカリンやシリウスがいる。
家族がいる。
それだけで、俺が生きる意味はある。
がんばる価値はあるんだ。
「もうすぐハローワークに到着しますよー!」
運転席から、ホイップの声が聞こえた。
俺たちはようやく家に帰ってきた。
家族が待つ家に。
こんな一泊二日の旅行。
俺は明日からはもっとがんばろうと、前向きになれたんだ。
――だが、俺は首都にいたこの二日間、ずっと誰かに見張られていたことなどまったく気づいてもいなかった。
今も馬車の数キロ後ろで暗闇に浮かびながら、俺たちをずっと見ている男のことなど、どうやって知ることができるというのか。
遥か遠くの闇夜に浮かぶ影の背中には大きな漆黒の羽が生えていた。
そしてハローワークのほうに視線を切らさず、何かをつぶやく。
「……ああ。まだ自由には無理なようだ。……ああ、そうだ。もしくは条件か」
独り言ではなかった。
誰かと会話しているように、相手の反応を待っている。
「……そのチャンスはいくらでもあるが。……まだその時ではない」
にやっと、その男の口元に笑いが浮かぶ。
それはこれまで積み上げてきた積み木を一気に壊そうとしている残酷で無邪気な笑顔に見えた。
「……そうだ。……もちろん、生きたまま。それが私の仕事だ」
次の瞬間、その男の姿は消えていた。
ダジュームの空には、大きな月がただ浮かんでいた。
第五章「異世界が前提のラブコメ」 完
次回、第六章「魔王は闇に嗤う」、始まる。
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