意外にも、ペリクルの決断はあっさりと下された。
「じゃあ明日の朝、森を出るわよ。シャクティ様にお願いしてみましょう」
俺一人で森を出るのは難しい状態で、彼女を巻き込んでしまったことには多少の罪悪感があるが、むしろ乗り気になっていた。
ホイップに会いたい。その気持ちが彼女を動かしたのだろう。
これまで一人で森を出て、魔王軍に入ってまで探し続けていた育ての姉の居場所がようやく見つかった。
妖精というよりペリクル個人の願いを優先する気持ちは、分からなくもない。
いや、今の俺はまさにそうだ。
じっと待ち続けるより、俺は自分の足で真実を求めたい。
仲間に会いたい。家族に会いたい。家に帰りたい。
それが、ダジュームの平和を掴むためだと信じて。
翌朝。まとめる荷物もほとんどなく、俺は着の身着のまま泉の広場へ向かった。
道中、ペリクルが合流してくる。
「行くわよ」
ペリクルの顔は、今まで見た中で一番明るかったかもしれない。
その表情には、希望が見えた。
「シャクティ様。お話があります」
泉の前で跪き、木の中に眠るシャクティを呼び出す。
このまま森を出れば、おそらくこれが始まりの妖精シャクティに会うのは最後になるだろう。
結局彼女は何なのか、わからずじまいだった。
果たして妖精なのか、木なのか、それとももっと違うものなのか。
ただ、シャクティによって俺はこのダジュームに呼ばれたということが分かったのは、よかったのか悪かったのか。まだ判断もつかないが。
『ペリクル』
その名を呼ぶ声が聞こえると同時に、また木の表面が変化し始める。そしてシャクティの姿が現れた。
『あなたたちの考えていることは分かっています。森を出たいのでしょう?』
なんで知ってるの? 始まりの妖精は妖精たちの考えを読めるのだろうか?
もしくは、昨晩の俺との会話を聞かれていたか、だ。
「はい。これが二度目のお願いになってしまい、申し訳ございません」
ペリクルが頭を下げる。
シャクティは微動だにしないので、感情が読めないのはずっと同じだ。
『あなたには目的があるのでしょう。この森の中では見つからない目的が』
おそらく、シャクティはホイップのことも知っているのだろう。やはり底が知れない。
「……はい。一度は戻ってくることをお許しいただいたのに、また出ていくことをお願いするなんて」
『構いません。あなたの故郷は、いつまでもここにあります』
「ありがとうございます、シャクティ様」
恭しく頭を下げるペリクルに、俺は静かに立ったままシャクティの木を見つめていた。
俺はこのシャクティに対し、どういう感情で向かい合えばいいのか、正直まだ分かっていなかった。
このダジュームにアイソトープとして転生させられたことを恨むべきか、もしくは二度目の人生を歩ませてくれて感謝するべきなのか。
『あなたも、行くのですね』
なんとも言えずに奥歯をかみしめていると、シャクティのほうから語り掛けられる。
「はい。ここは、俺の帰る場所じゃないから」
『……わかりました。それがあなたの道なのでしょう』
拒否されるかもと思ったが、あっさりと許可される。
『しかし、今のあなたではダジュームの憎しみの連鎖は絶つことはできません。勇者や魔王に利用されて、これ以上の戦乱のきっかけにされてしまうことは避けねばなりません』
「でも、ここでただ待っていてもどうしようもないでしょ。話せばわかるとは言いませんが、俺は俺のフィールドで、できることを探します」
これまでの俺ならば、ずっとここで隠れていたかもしれない。
だけど、自分だけを守っていては、世界は救われない。
少なくとも俺は【蘇生】という厄介なスキルを身につけてしまったらしい。
そのために、誰かを巻き添えにして不幸にさせるわけにはいかない。
救世主になれと言われ、自分ではそんな器ではないと思いながらも、もしなれるのならば、それは他人のためになりたいと思う。
自分のためではなく、誰かのために。
ようやく俺は、このダジュームで生きる意味を見つけられるかもしれない。
それは俺が、俺自身を超えること。
『そうですか。そうなることを、願います』
抑揚のない口調だったが、奥のほうに不満が隠れているようであった。
今の俺はまだシャクティを母と呼んで言いつけを守るほど、聞き分けは良くはない。
俺はペリクルと目配せをし、一緒に大きく頷いた。
「これまでお世話になりました」
数日の滞在のお礼を言う。
『最後に、餞別です。あなたに簡単に死なれては困りますので』
「餞別?」
すると、シャクティの右手が軽く上がり、その手のひらから俺に向かって一筋の光が伸びてきた。
一瞬の出来事で、まるでビームで撃たれたような感じになったが、俺の体に変化はなかった。
「な、なんですか?」
『あなたは戦うよりも、身を守るほうに特化した訓練を積むほうがよいでしょう。私からあなたへ、翼のプレゼントです』
「つ、つばさ? な、なんのことですか?」
俺は背中に手をまわして確認するが、もちろん翼なんて生えていなかった。
『では、目を閉じなさい。いきますよ』
「え、え? あ、はい!」
俺はぐっと目を閉じる。
すると、頭の中がグルンと揺れた。脳の中をかき回されたような気持ち悪さを感じ、上も下も分からなくなったと思ったら、ぐにゃんと体が溶けてしまったようになる。
『またいつでも戻ってきなさい。この森は、あなたたちの還るべき場所』
シャクティの声が、最後に残る。
そして俺は意識を失った。
夢を見たようだった。
目覚めるといつものベッドの中。揺蕩う意識の中で、カーテンの隙間から差し込む光に手をかざす。
「ケンタ、早く起きなさい!」
部屋の外から俺を呼ぶ声がする。
母さんだ。
俺は布団からはい出し、部屋を見回す。
机の上には昨晩準備していた学校鞄があり、本棚には本がいっぱい並んでいる。テレビの前にはゲームのパッケージが転がっていて、テーブルには飲みかけのペットボトル。
「すぐ行くよ!」
母さんに返事をして、時計を見る。いつも家を出る時間の、ちょうど一時間前だ。
パジャマのまま部屋を出て、階段を下りる。
キッチンにはすでに朝食が用意されていて、コーヒーの匂いが漂ってくる。
「今日からテストなんでしょ? ちゃんと勉強してるの?」
母さんは口を開くと、すぐ勉強のことだ。
「やってるよ」
とっさにそう答えたものの、俺は頭の中で別のことを考えていた。
テスト? 今日から?
そうだったっけ?
今日は、何日だ?
昨日は、何をしていたんだっけ?
明日は、何をする?
明日は?
俺は、明日は、何をしている?
俺は、死んでいない? 生きている?
そしてまた俺は体が溶けた。
「やっと目が覚めた?」
背中がごつごつとして、寝返りを打とうとして目が覚めた。
頭の中がもやもやして、現実が取り戻せない。だけどここが、自分の部屋ではないことは確実なようだ。
「どこだ、ここ?」
「森から出たのよ」
ペリクルがふわふわと浮かびながら、遠くを眺めていた。
俺も起き上がると、ようやく自分の立っている場所が分かった。
眼前に広がるのは、青い空と海。
俺は崖の上にいた。
「心配して、ちゃんとダジュームに戻ってきたわ」
妖精の森でペリクルとアオイに崖の上から落とされそうになったことを思い出したが、ちゃんとシャクティに森を出してもらえたようだった。
「で、どうするの?」
ようやく外の世界の光に慣れてきた俺に、ペリクルが振り返って聞いてくる。
「お前はホイップに会いに行くんだろ? 場所は分かるよな? ラの国のハローワークだ」
ジェイドの【監視】スキルでさんざん見てきた場所だ。ペリクルならすぐに見つけられるだろう。
「……ケンタは?」
「俺は勇者パーティーに会いに行く。確かめなきゃいけないことがある」
それは勇者が俺を追う理由。
敵なのか、味方なのか。直接会って、俺が判断したい。
そして、シリウスにも会って話がしたい。
「じゃあ、行きましょ。勇者はこっちよ」
と、ペリクルは崖の上から飛んでいこうとした。
「いや、待てよ? お前はホイップに会いに行くんだろ?」
「あんた一人で勇者に会うつもり? もし殺されたら、私はシャクティ様に合わせる顔がないわよ」
ぴたっと空中で静止するペリクル。
「一緒に、勇者に会いに行くっていうのか?」
「私は妖精。ダジュームの歴史を見て、語り継ぐのが役目なのよ? あなたが何をするのかを見届けるのも歴史よ」
ちらっと見せた横顔には、ペリクルの妖精としての矜持が垣間見えた。
「ほら、ついてきて。女子を待たせる男は嫌いよ!」
ペリクルは崖に向かって飛び出した。
「つ、ついてこいって、そっちは崖だろうが!」
高さは30メートルくらいあるだろうか? 下を見下ろすと波が崖にぶつかって白いしぶきをあげている。ここから落ちたら波にさらわれて水死である。間違いない。
「シャクティ様に翼をもらったんでしょ? 勇気を見せてみなさい!」
崖から飛び立ち、俺を誘うペリクル。
「翼って? え、どういうことだよ?」
「あんたはもう飛べるわ。自分を信じて、一歩を踏み出して!」
まさかシャクティが言っていた翼って……、マジで?
俺は崖の際に立つ。
下を見下ろすだけで、全身に鳥肌が立つ。
「さ、早く!」
急かすペリクルは冗談で言っているように見えない。
俺はただ前だけを見つめる。
俺は自分を超えるって決めたんだ。
何ができるか分からない。分からないから、やってやるんだ。
「い、行くぞ!」
俺は両手を広げ、そのまま崖から飛び降りた。
重力が俺の体をまっすぐに海に向かって容赦なく落とす。
「や、やっぱりむ……!」
無理!
そう叫びそうになったときだった。
背中が熱くなる。
同時に、重力が消え、俺の体の周りの風が消えた。
これ以上、海への距離が縮まらない。
「……へ?」
浮いていた。
恐る恐る、後ろを振り返ると、青い光が俺の背中から生えていた。
光の翼だった。
「オーラが作った翼よ。シャクティ様が、あんたのオーラを解放してくださったの」
青い半透明の光が羽となり、俺の体を空中に浮かばせているのだった。
「す、すげぇ」
「まだ自由に使いこなせないかもしれないけど、さっさと慣れてね。行くわよ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! どうすりゃいいんだ?」
さすがに羽の動かし方も分からない。突然消えてしまいそうで、それはそれで恐ろしい。
「願うのよ、自分の行きたい方向へ! 人生と一緒よ!」
ちょっと良いことを言ってペリクルはキラキラと羽をはばたかせながら飛んでいく。
「ま、待ってくれよ!」
泳ぐように両手両足をばたつかせる。
するとゆっくりだが、前に進み始めた。
「お? こうか?」
妖精の羽のようにははばたかないが、俺の羽は飛行機のそれのように、風を切りながら進んでくれた。
「不器用な男ね! 危なくなったらいつでも逃げられるように、しばらくは飛行訓練ね!」
ペリクルは嬉しそうに笑った。
こうして俺は再び、ダジュームの世界に戻ってきた。
この光の翼と、新たな目的を持って。
まずは勇者に会う。
そして、俺は俺の道を行く!
第七章「妖精の森」 完
読み終わったら、ポイントを付けましょう!