ゆらゆら揺れる体。ゆらゆらまわる意識。ゆらゆら流れる記憶。
この感触、どうやら馬車に乗せられているようだ。
脳はまだ完全に目覚めていない。普通に寝たときの目覚めとは違って、魔法で眠らされたときは睡眠と覚醒の間にふわふわとしたインターバルが挟まれる。
それは川のようで、空のようで、壁のようでもある。金縛りにかかるというのは、この空間には挟まっているようなものだと、俺はふと思い出す。
その奇妙な意識の空間を抜け、ようやく目が開けられる。そこにあったのは、白い幌。太陽が透けて、少しだけまぶしい。
やはり今、俺は馬車に乗せられている。
モンスターになって発達した五感も、なんだか鈍く感じる。
すうっと息を吸い込む。土の香りがする。
じいっと耳を澄ます。男二人の話し声が聞こえるが、詳しくは理解できない。
体は動かない。独房でかけられた魔法によるものではなさそうで、手足が物理的な何かで拘束されている。
アレアレアで俺は【睡眠】の魔法をかけられた。ボジャットを信頼してすべてを打ち明けた瞬間、まんまと罠にかかってしまったのだ。
かろうじて首を横に向けて、状況を見極める。この荷台には俺一人が乗せられているようで、さっきの話し声は前の馬に乗っている男たちだろう。荷台には見張りはいない。
目覚めたばかりだからか、まだ力が入らない。拘束されているが、今のところ外すことはできなさそうだ。しばらくはこのままおとなしくしておこう。
しかし、どこへ向かっているのかは大体想像がつく。
さっきのボジャットの口ぶりから、俺は勇者のもとに運ばれているのだろう。
眠らされて、殺されていないということは勇者にとってはまだ俺に利用価値があるということなのだろうか?
そもそも俺はデーモンになって戦闘能力は上がったが、世界混乱の原因である【蘇生】の魔法が使えるのかはわからないのに。
だがこうやって運ばれているということは、勇者に対話の意思があるということだろう。俺を殺すという選択肢はそのあとでも十分ということか……。
とりあえず、ボジャットに俺がケンタということをバラしたのは大失敗だったということだ。
ていうか、ペリクルはどうなったんだ? ボジャットの話ではカリンとミネルバさんに会ったみたいだったが……。
あのペリクルのことだから捕まっているとは考えられないが……。
まさかホイップを見つけて二人ですでにどこかへ行ってしまった可能性はあるぞ? 俺をほっといて妖精の森に帰ったんじゃなかろうな?
……俺 捨てられた?
俺だけこのまま勇者に売られてしまうのか?
イッツ・ライク・ア・ドナドナ状態!
いや、冗談を言っている場合ではない。俺も少しずつ、意識を取り戻り始めた。おそらく、俺を縛りつけている拘束具も簡単に外せそうだ。モンスターになった俺が本気を出せば、いつだってこんな馬車からは逃げ出せると分かり、俺は少し落ち着くことができた。
すると五感も徐々に回復してきたみたいで、馬車を運転する護衛団の声が耳に入ってくる。
「ファの国は遠いな」
「わざわざ死んだモンスターを届けろなんて、団長も厳しいですよね」
「こんな奴、さっさと燃やしちまえばいいのに」
「ほんとほんと」
なるほど、俺は死んだことになってるのか。だからこんなに警備が手薄ということか。
そしてこの馬車はファの国に向かっているらしい。
そういやこの前、シャルムも勇者パーティーがファの国にいるって言ってたよな?
「お前、勇者に会うの初めてだろ?」
続けて興味深い話が聞こえてきた。
やはり俺は勇者に差し出されることになっているのか。
「そうっすね。この前の勇者パレードのときはまだラの国に赴任してましたから」
「生の勇者はやっぱすげーぞ。オーラが違うわ。あれなら魔王もすぐに倒せるはずだ」
そんなわけねーだろ、とツッコミたかったが俺は黙って荷台で死んだふりをしていた。
そしていつの間にか魔王に肩入れしている俺がいることに気づく。俺の中では勇者はどこか敵のように思えてしまう。
「でもなんで勇者はファの国なんかにいるんでしょう? この前まではソの国でモンスターと戦ってたでしょう? デンドロイとかいう金鉱の町で」
護衛団の二人が、俺が魔王城に行っていて把握していなかった勇者パーティーの情報をペラペラ話してくれる。
俺はそっと耳を傾ける。
「知らねーよ。でもさすが勇者だな。デンドロイでの戦いも圧勝だったらしいし、モンスターたちは泣きながら逃げたみたいだぜ」
ダジュームではそういうことになっているのか。
ランゲラク軍は俺が見つからずに裏の世界に戻ったらしいのだが、勇者としては圧勝判定なのか。お気楽なものだ。
「でも新しく入った戦士が怪我したみたいですよね」
なんだって?
俺は思わず反応しそうになったが、じっと我慢する。
勇者パーティーに入った新しい戦士。それはシリウスのことだ!
シリウスがケガをしただって……?
「レベルが低いのに無理するからだよ。それにアイソトープらしいじゃないか。勇者の邪魔だけはしないでほしいぜ」
「本当ですよね。アイソトープが勇者パーティーに入れるなんて、なんかコネでもあったんですかね?」
護衛団たちの話に、俺は怒りがこみあげてくる。
シリウスのことを何も知らないくせに!
あいつが勇者パーティーに入るためにどれだけ訓練を積んで、努力をしたのか知っているのか!
俺とほぼ同時にダジュームに転生してきたシリウス。
もちろんアイソトープは簡単に魔法なんて使えるわけがなく、そしてシリウスも例外ではなかった。あいつはどれだけ訓練を積んでも魔法の素質はなかった。
だがシリウスは勇者パーティーに入ることを諦めず、血のにじむような格闘訓練を積んで、戦士としてその夢を叶えたのだ。
それをアイソトープだからとか、コネだとか……。
怒りが湧き出るが、それよりも怪我をしたという情報のほうが気になる。
「ま、とりあえずこいつを届けるのが俺たちの仕事だ」
「そうですね。あ、そろそろ国境が見えてきましたよ!」
結局、シリウスの怪我についてはそれ以上のことを聞くことはできなかった。
さらに、勇者がなぜファの国にいるのかも。シャルムが気にしていたように本当に妖精の国に向かっているのだとしたら……?
こうなったら直接勇者に会って聞くしかない。
それが一番手っ取り早いし、今の俺ならば殺されることはないだろう。
そう覚悟を決めたとき、馬車に異変が起こったのだ。
「なんだ? あれ?」
護衛団の男の緊張した声が聞こえた。
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