アレアレアの町の門から出て、一直線に俺たちがいる丘へと走ってくる一人の女性。
彼女のことを誰が妖精だと思うだろうか。背中には羽はなく、背丈も普通の成人女性と変わりはない。
遠くても彼女は俺たちの姿に気づいているだろうし、俺たちもその姿をはっきりと認識している。
このダジュームに来るために魔王の【変化】の魔法によって人間の姿に変わってしまったが、見た目は妖精のペリクルと変わりはない。
それは妖精の森で最後に会ったホイップにとっても、きっと同じことだろう。
「ペリクル……」
昔のことを思い出すように、懐かしさにあふれた声を漏らすホイップ。
その再会を一番に譲るために、俺とジェイドは一歩下がった。
きっとペリクルのほうも、ここにホイップがいることに気づいていたのだろう。上司に呼び出されて使命感から走っているのではないことはよく分かる。
何度か大きく空を飛ぼうとジャンプするが、人間の姿ではそれは叶わない。大きく手を振って、必死でこちらに駆けてくる。
「ペリクル!」
ただ待っているのが辛抱できなくなったホイップが、俺たちの元から飛び立った。
キラキラと光のアーチを描きながら、一直線にペリクルの元へ飛んでいく。
「ホイップ!」
人間の姿のペリクルの胸に、小さなホイップが飛び込んだ。
「ペリクル!」
ペリクルはそのホイップを、ぎゅっと抱きしめる。
二人はこのダジュームの地で再会を果たしたのだった。
妖精の森で別れて以来、どれくらい年月が経ったのかは分からない。妖精の二人にとっての時間経過は俺のようなアイソトープには理解できない。
だけど、これがずっと待ち望んだ再会であることは分かる。
妖精の役目を全うするために一人森を出たホイップと、その世話係を追ったペリクル。
俺とジェイドは、その二人の妖精たちの再会をじっと見守る。
「ごめんね、ごめんねペリクル……」
ペリクルの胸の中で聞こえた嗚咽は、静かにただ二人の空白の時間を埋めていく。
「ホイップ……。そんなことどうでもいいよ」
しっかりとホイップの気持ちを受け止めるペリクル。
「あなたも森を出てくることは分かってた。でも、あのときの私はあなたを置いて行くしかなかったの。ごめんね、ごめんね……」
何度も謝るホイップの頭を、ペリクルがそっと撫でる。
「謝らないでよ、ホイップ。今なら分かるよ。あの時の私はわがままだったから。何も知らないで、ホイップの気持ちなんて分かろうとしなかったから」
「私もちゃんとあなたと話せばよかったの。なのに、あなたを放っておいて……。それであなたを危険な目に……」
「私は危険なことなんてなかったよ。ホイップに会いたくて、でも会えなくて……」
「私も会いたかった。ごめんね、ちびペリクル……」
「ううん。もう会えたから!」
ようやく果たした再会だった。
森を出た二人がここまでたどってきた道程は紆余曲折あっただろう。
お互いの苦労を噛みしめ、再会を喜ぶ二人の抱擁はしばらく終わることはなかった。
「ケンタが捕まって、どこかに運ばれるって聞いたときにはもう遅かったのよ。あのボジャットとかいう護衛団団長に掛け合っても行先は知らないって言うし。それで仕方なく私はカリンの家で過ごしてたのよ。けんたは デーモンだし、そう簡単に死なないとと思ったからそのうち戻ってくると思って」
それが俺とペリクルがはぐれてしまってからの顛末だった。
ペリクルを加えた俺たち四人は丘の上で、現状の報告をし合っていた。ホイップとペリクルは感動の再会をかわした後もずっと二人で寄り添っている。
「こんな奴、放っておいて魔王城に帰ればよかったのだ」
ジェイドが身もふたもないことを言う。
「でも、ホイップを探すというのが魔王様からの命だったんで……」
「そうよ。あなたみたいなモンスターには分からないわよ。魔王についたり、ランゲラクって奴についたり、風見鶏みたいなあなたにはね!」
上司からの指摘にテンションが下がるペリクルに、ホイップが代わって反論する。
「わ、私はいつだって魔王様の……」
「じゃあ魔王の命なんだから、文句言うんじゃないわよ!」
「ぐ……」
どうやらジェイドもホイップの前では威勢がなくなってしまう。
「それで私を探すためにこんな姿になっちゃったの?」
小さなホイップが、大きなペリクルの体をペタペタと触っている。
「妖精のままでダジュームに行くと目立っちゃうから。ただでさえあいつがデーモンなんかになってるからね」
「迷惑な話よね」
妖精二人そろって俺をぎろりと睨んでくる。
「これは魔王が【変化】の魔法をミスったからだって言っただろ!」
「魔王様がそんなミスをするわけがないだろうが!」
本当のことを言うと、すかさずジェイドが否定してくる。
みんな魔王の本当の姿を知らないからそんなこと言えるんだよ!
「でもカリンにはよくしてもらったわ。ホイップの話もいっぱい聞けたし。ハローワークで働いてたんだってね?」
「そうよ。私もいろいろあって、ラの国のハローワークにいたの。そうだ、ペリクルも一緒にハローワークに来ればいいわ! いつだって人手が足りないから大歓迎よ!」
ぱちんと手を打って、嬉しそうに提案するホイップ。
だがそう簡単に自分の処遇を決められない理由がペリクルにはある。上目遣いで、上司であるジェイドの顔を窺う。
「それは、そう簡単な話ではない」
ジェイドも簡単に決められることではないようだった。あくまで今のペリクルは魔王軍の所属であったから。
「ごめんね、ホイップ……」
「ううん。私も無理言っちゃったみたいね」
これにはホイップも引き下がる。
これまで歩んできた別々の道をすべてひっくり返すことが簡単でないことは理解しているのだろう。
ホイップとて、ペリクルから魔王城へ行こうと誘われたらすんなり承諾することができないのは、分かっているはずだ。
「ていうか、ジェイド。お前はこれからどうするんだ? またランゲラクのところへ戻るのか?」
妖精二人のテンションが下がってしまったので、俺が話題を逸らす。
「ああ、そうなる。だからペリクルには魔王様のもとに戻ってもらわねばならない」
あくまでジェイドは魔王側のモンスターであり、ランゲラク側にはスパイという立場を取り続ける必要があるようだ。
「ケンタよ。お前も魔王城に戻ってもらうぞ。これ以上ダジュームにいると、さっきのようなことが起きる可能性がある」
さっきのようなこととは、もちろんランゲラクとの遭遇のことだ。魔王城にいれば、ランゲラクも容易に近づけないし、何より魔王ベリシャスという最高最強のボディーガードがいるのだ。
「ああ。俺がダジュームにいると、この世界の住人たちを巻き込んでしまう可能性があるからな」
自惚れはあのランゲラクに実際会ってみて、霧散した。
こんなデーモンになって中ボスレベルになったからといって、勇者には勝ててもモンスターにはまだまだ上がいることを思い知らされたところだ。
俺がダジュームにいることで、ランゲラクが本格的に侵攻してきたら、あの勇者パーティーではどうしようもない。ダジュームはあっという間に火の海になってしまう。
そうならないように、俺はやはり魔王城で身を隠すのが一番だ。
「ホイップはどうする?」
俺たち三人は裏の世界に帰ることがほぼほぼ決まってしまった。
あとはホイップだが……。
「私も、帰るべきところに帰ります」
一度こくんと首を縦に振り、決心をあらためたように言う。
「ホイップ、まさか妖精の森に……?」
妖精が帰るべき場所といったら、妖精の森ってことか?
「違いますよ。何言ってんですか、ケンタさん。相変わらず頓珍漢ですね。そんなんでダジュームを救えるんですか?」
ひょうひょうと否定するホイップ。
「じゃあ、帰るべき場所って……」
「ハローワークに決まってるじゃないですか。私の居場所は、ハローワークしかありません!」
ホイップは両手を握りしめ、言い切った。
「今はみんなばらばらになってますけど、いつかまたあのハローワークで会いましょう! ペリクルもいつかハローワークに来てほしいし。だから、私はみんなが帰ってくるのを待ってますよ!」
ホイップが俺を、ペリクルを見る。そしてカリンのいるアレアレアの町、そしてシリウスがいるファの国を見る。
「ホイップ……」
あのとき、アイソトープとして転生してきた俺たちは今はいろんな立場や役目を背負って離れ離れになっている。
ずっと一緒にがんばろうって、俺たちは家族だって、そう言って励まし合ってきた。
そこにシャルムがいて、ホイップがいて。
俺たちにとっての我が家はハローワークしかないんだ。
いつか、役目をはたして我が家に帰る時まで。その時まで――。
「私も、行っていいの?」
ペリクルが心配そうにホイップに尋ねる。
「当たり前でしょ! ちびペリクルも私の大事な家族ですから!」
ホイップはペリクルの胸の中に飛び込んだ。
「ホイップ、ありがとう……!」
「今度は黙って行かないから。私はずっと待ってるからね。いつかまた一緒に暮らせる時を」
俺はまた一つ、目標ができてしまった。
いつか無事に、ハローワークに帰る。
そしてまたみんなで暮らすんだ。スキルを習得するために訓練をして、美味しいご飯を食べて、励まし合って、ジョブに就いてダジュームで平穏に暮らせるように。
今はそのために、俺ができることをやる。
「じゃあ、行くぞ。ダジュームに長居するわけにはいかない」
ジェイドが促し、俺とペリクルが頷く。
すっと、ペリクルの胸からホイップが離れる。
「もうさよならは言いませんよ! いつか絶対にみんなで会うんですから、さよならすることなんて絶対ないですからね!」
ホイップがくるんと宙返りをする。
「ああ。ホイップ、それまでシャルムの面倒は頼んだぞ」
「はい。きっと私がいない間、事務所が散らかってるはずですからね!」
俺はホイップにシャルムのことを頼む。
「ホイップ、またね。次に会うときは、私も元の姿に戻ってるから」
「ペリクルも、元気でね。ケンタさんのことなら、ちょっとくらいしばいても大丈夫だからね」
勝手なことを言わないでくれ。俺も魔王城に戻ったら、ただのアイソトープに戻るんだからさ!
ジェイドは羽を生やし、ペリクルは俺の背中に乗る。裏の世界に戻るには、またあのハローワークの裏山からゲートをくぐることになる。
「じゃあ、ここで。みなさん、行ってください!」
ホイップが小さな手を振る。
その表情は寂しさを隠すように、笑顔が作られていた。
「分かった。俺たちが帰るまで、元気でな、ホイップ」
「ホイップ、待っててね」
ジェイドが飛び立ち、続けて俺も地面を蹴って空へ飛び上がる。
そして一気に、裏の世界へのゲートに向かって飛び立った。
「ケンタさん、ちびペリクル! ついでにジェイドさんもお元気で!」
ホイップのバカでかい声がアレアレアの空に響き渡った。
またみんなで会える日が来ることを願って。
その日のために、それぞれがやるべきことをやるために俺たちは別れた。
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