「遅かったわね、ケンタ」
まるで俺たちが来ることに気づいていたかのように、待ち受けていたシャルム。
懐かしさを惜しむ雰囲気はなく、俺のことをギリリと睨みつけてくる。そうすでにちびりそうである。
「シャルム……」
俺は懐かしさと申し訳なさが混じって、情けなくその名を呼んだ。
驚いたことに、シャルムの黒い髪がショートカットになっていた。時の経過を思い知る。
「し、失恋でもしたんですか?」
「ほかに言うことがあるでしょ! 殺すわよ!」
「す、すいませんでしたぁぁぁ!」
俺はその場にスライディング土下座をキメた。
殺される! ランゲラクでも勇者でもなく、シャルムに殺される!
俺がダジュームに来て最高レベルの殺意を感じた瞬間だった。
「で、あなたがジェイド?」
俺が土下座して地面に頭をこすりつけていると、シャルムはジェイドに話しかけていた。
俺もすっと顔を上げて、二人の邂逅を見守る。
「魔王の命により、参上しました。魔王様の執事、ジェイドです」
シャルムに恭しく自己紹介するジェイド。モンスターが人間に名乗るとは、珍しい光景かもしれない。
「元、執事でしょ? 経歴詐称で訴えるわよ?」
シャルムがにやりと笑った。
なんでそんなことまで知ってるんだ?
「……その通りです」
これにはジェイドも驚いたように、珍しく表情を歪めた。
今の彼は魔王の執事からランゲラクのもとで働いているのだ。
そんなジェイドの後ろでもじもじしているペリクル。あたりを見渡しているのは、ホイップのことを探しているのだろう。
「あら、妖精を連れたモンスターは珍しいわね」
シャルムもペリクルに気がついたようだ。
「カリンとホイップは、いるのか……?」
俺はおそるおそる尋ねてみる。
「とりあえず中に入りなさい。モンスターは中に入れない主義だけど、仕方ないわ。それにあなた、二度目でしょう? どうぞ」
蠱惑的な笑みを浮かべながら、踵を返し事務所の中に入っていくシャルム。俺の質問は完全に無視である。
ジェイドが事務所に入ったのは、俺を拉致しに来た時だ。俺が招き入れたのだが、シャルムは会ったことがないはずなのに?
「ジェイド、シャルムと会ったことがあったっけ?」
確か、ジェイドはシャルムが帰ってくる前にどこかへ行ってしまったはずだが?
「会ったことはない……」
ジェイドはそれだけ言って、事務所へと入っていく。
まったく腑に落ちないといった不満そうな顔であった。執事のことを知られていることを不審に思っているようだった。
「ペリクル。ホイップがいたら、紹介するから」
「しょ、紹介なんてしてくれなくても分かるわよ!」
育ての姉に数十年ぶりに会えるかもしれないペリクルも、いつもと様子が違っていた。ジェイドの背中にくっついたまま事務所へ入る。
「シャルムとジェイド、なんかあるのか?」
なぜか俺は蚊帳の外のような気がするが、膝の土を払って、俺も数か月ぶりにハローワークの事務所の敷居を跨ぐのであった。
事務所内は見慣れたもので、俺が出ていく前とほとんど変わらなかった。
リビングにあるソファにシャルムが座り、ジェイドも勧められて静かに腰を下ろした。ペリクルはそわそわしながら、ジェイドの背中に隠れている。
なぜか俺が一番居心地が悪く、リビングをうろうろしていると、シャルムとジェイドは何やら話をし始めた。
俺はふと、懐かしいことを思い出す。
毎日裏山に薪拾いをして帰ってくると、キッチンから夕飯の支度をするいい匂いが漂ってきたのだ。
「お疲れ、ケンタくん!」
カリンがパンを焼いている窯を覗いて、顔を煤だらけにしてこっちに振り向く。そういや俺たちアイソトープの中で一番最初に魔法を使えるようになったのは、このカリンだったよな。
きっと今日も美味しいパンを焼いてくれているのだろうと、毎日帰ってくるのが楽しみだった。
「さっさと着替えて手伝ってください! 怠け者に食べさせるご飯はないですからね!」
今度はホイップだ。小さなエプロンをつけて、事務所内をあっちこっち飛び回ってたよな。雑用なんて言いながら、ホイップがいなけりゃ俺たちは何もできなかった。口は悪いけど、ハローワークのエンジンみたいな妖精だった。
ほんの数か月前の、そんな日々。
俺はそんな日常を捨てて、飛び出したんだ。
その思い出深いキッチンを見ると、今は誰もいない。香ばしいパンの焼ける匂いもしない。
そこにはカリンも、ホイップもいなかった。
「ケンタ、うろうろしてないで、こっちに来なさい」
キッチンをのぞいていると、シャルムが俺を呼んでいた。慌ててリビングに戻ると、ジェイドが難しい顔をしているのが目に入った。
「大体の話は聞いたわ。妖精の森に行ってたんだってね。なんとも壮大な家出ね」
足を組んで、呆れたように言うシャルム。
俺はやはり、確かめなくてはいけなかった。
「それより、カリンと、ホイップは?」
キッチンのほうを指さし、シャルムに尋ねる。
ふぅ、と一息ついて、シャルムは眼鏡を上げた。
「カリンはアレアレアに行ったわ。仕事でね」
「ジョブに就けたんですか?」
「そうよ。今は土産物屋をしていたミネルバと一緒にガイドを仕事にしているわ」
「そうか、夢が叶ったのか……!」
やりたいことを探していたカリンが見つけたのは、いろんな土地を回ることができるガイドというジョブだった。ダジュームには旅行代理店のような仕事がないらしく、自らそんな仕事を立ち上げたいと語っていたのだ。
勇者パーティーに入ったシリウスといい、俺以外はちゃんと夢を叶えていることにほっとする。
「じゃあ、ホイップは?」
もう一人の住人であり、ペリクルの探し人。
ずっと俯いていたペリクルが、顔を上げる。
「ホイップは、ここにはいないわ」
その言葉に、ペリクルの落胆する顔が見えた。
「え、どこに行ったんだ?」
「さあ」
「さあって? はっきり言ってくれよ、シャルム!」
何度か指でこめかみを叩いて迷ったようなシャルムに、俺は食いつく。
「……あなたを探しに、出ていったのよ」
「俺を、探しに……?」
俺は思いもしなかった現実を突きつけられた。
ホイップが俺を探すために、出ていったっていうのか?
「そうよ。あなたがいなくなって、すぐのことよ。それから連絡もないから、私も心配してるの」
「そんな、ホイップが……」
まさかの状況に俺も絶句していると。
「バカ!」
するとペリクルが叫び、何をするのかと思いきや、俺のみぞおちに蹴りを入れてきた。
「ぶへぇっ!」
小さな細い足が、俺の腹の中に突き刺さった。
「あんたのせいで、ホイップがどこかへ行っちゃったじゃないの! どうしてくれんの!」
今度はポカポカと両手で俺の頭を連打してくる。
「や、やめ……」
「やめておけ、ペリクル」
ジェイドが助け舟を入れてくれて、ペリクルは手を止めて再びジェイドの背後に隠れてしまった。飛び去るとき、きらりとペリクルの瞳に光るものがあって、俺は胸が痛くなる。
「す、すまん。俺の責任だ」
声を絞り出して、ペリクルに頭を下げる。
まさかホイップが俺を探すためにここを出ているとは思いもしなかったのだ。ペリクルが起こるのも仕方がない。
「こいつが探している妖精が、どうやらそのホイップという妖精だったらしい」
ジェイドがシャルムに説明をしてくれる。
「そうなの。ぜんぶこのバカのせいだから、あとでもっと痛めつけてあげなさい」
「……そうする」
シャルムのおそろいしい提案に、泣きべそのペリクルも乗ってしまう。
死なない程度にお願いします……。
しかし、ハローワークの状況が大きく変わっていることに、俺は感傷的になってしまう。
「ペリクルには気の毒だけど、今は話を元に戻すわ。あなたの話よ!」
「は、はい……」
そうだった。俺は魔王の命により、ここに連れてこられたのだ。
シャルムに気合いを入れられて、俺はピンと背筋を伸ばす。
「じゃあ、これにサインして」
す、とテーブルの上に一枚の紙を出すシャルム。
「なんですか、これ?」
「あなたへのオファーよ」
「オファー……。え?」
突然のシャルムの言葉に、俺は書類を二度見する。
いつか見た、ジョブの正式なオファーであった。あて名はちゃんと「ケンタ・イザナミ」と俺の名が書かれている。
「いやいや、ちょっと待ってください。今さら俺にジョブのオファーが来たからといって受けるわけにはいかないでしょ。俺はなんだか指名手配されてるんですよ? どっかで働いてたらすぐに見つかって勇者に引き渡されるか、もしくはランゲラクに襲われますよ!」
すっかり忘れていたが、ここは異世界ハローワークだった。
俺みたいな転生してきたアイソトープにジョブを斡旋する場所である。すっかり世界を巻き込んだ事態になっていたため、本来の役割を忘却していた。
「ごちゃごちゃ言わずにサインしなさい。あなたがここへ戻ってきたのは、このオファーを受けるためよ」
バチンとテーブルにペンを叩きつけるシャルム。
なぜかジェイドは難しい顔をして、腕を組んでいる。
「今さら俺が働いてどうなるっていうんですか……」
しぶしぶ、そのオファーに目を通す。
「ええっと。勤務先は魔王城。職務は、魔王の執事……。はぁ?」
読んでびっくり、その内容に腰を抜かしそうになった。
なんと魔王からのオファーだった。
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