ホテルのカフェは大盛況でほぼ満員ながら、俺たちはかろうじて空いていた窓際の席に通された。
フロントお姉さんも言っていたが、今週はこの首都ではいろいろな国際会議や催し物が行われているらしく、旅行者らしき姿も多い。
「のどが渇いちゃったね」
カリンはメニューを見ながら、何を頼もうか悩んでいるようだ。
「ご注文は?」
ウェイトレスが注文を取りに来たので、カリンはメニューを指さす。俺もカリンと同じアイスコーヒーを無難に注文する。
俺もカリンもダジュームの文字はまだ完ぺきに読めないので、写真のあるメニューを選びがちだ。
転生してくると、言葉はわかっても文字だけはどうにもならないらしい。
「海外に来たみたいよね。まだまだ勉強しなくちゃいけないことがいっぱいよね!」
ダジュームでの識字問題に触れるカリン。
ハローワークではもちろん、こういった言語や歴史の訓練も並行して俺たちは受けている。
シャルムが忙しいのも当然だ。
「そうだな。アイソトープも大変だよな」
何気なく外を見つめながら、俺はつぶやく。
見た目ではほとんど見分けはつかないが、ここにいる人の中にもアイソトープはいるはずだ。
「でもさっきはスカッとしたよね! あのちょび髭、ケンタくんのこと完全に見直してたわよね!」
ちょび髭、というのはソの国のハローワーク所長プロキスのことだ。
あまりにもカリンの声が大きかったので、俺はあたりを見回す。さっきの会議の出席者が近くにいてもおかしくはない。
「しー! そういうこと言うんじゃないよ!」
「だってそうじゃないの。そりゃハローワークの会議に出席するアイソトープは珍しいかもしれないけどさ、言いすぎだったよね? 私もカチンときちゃったんだから」
さっきの会議の時のことを思い出して、ほほを膨らませるカリン。
まあ、本来は俺みたいな訓練を受けているアイソトープが会議に出席することなんて前代未聞のことではあるのだろうが、確かにプロキスの発言はちょっとバカにされた気がしたのも事実だ。
「まあ、それも合コンに行ってこの会議を欠席したシャルムが全部悪いんだけどな!」
そもそもはそうである。
こんな大事な国際会議よりも合コンを優先させるハローワーク所長っている?
「でもシャルムさんも一人でハローワークを切り盛りするのは大変よ。私たちも手伝えることがあれば手伝ってあげなくっちゃ」
「でも会議に出るのはやりすぎだけどな。まあ、ハローワークにもう一人くらい従業員がいればいいんだけど」
ホイップがいるが、彼女はあくまで雑用という立場である。
「合コンでいい彼氏が見つかれば、一気に解決するんだけどねー。夫婦でハローワーク経営なんて素敵じゃない?」
カリンが目を輝かせるようにしているのは、何を夢見てのことだろうか。
「そうだよなぁ。ソの国にはハローワークが三つあるのに、うちのラの国には一つだけていうのも不公平だしな」
「シャルムさんも言ってたけど、転生してきてハローワークに保護されないアイソトープもいっぱいいるんだから。私たちは恵まれてるんだよ、ほんとに」
ここで注文したドリンクが持ってこられた。
俺とカリンは黙ってのどを潤す。
このカフェ、人は多いが喧騒はなくまったりと過ごせているのは客層が落ち着いているからだろうか。
さすが四つ星ホテルのカフェである。
俺も会議が終わり、今夜のことも今は忘れて静かに過ごせて気持ちを落ち着けられるというものだ。
そう、この平常心を取り戻せば、カリンと二人一緒の部屋だったとしても、なんら緊張や困惑や暴走もなく、明日の朝を迎えられることだろう。
アイソトープは紳士たれ。そんな言葉を胸に刻み込む。
「ケンタくんは、元の世界では彼女とかいたの?」
「ブッ!」
突然の胸元をえぐるような質問に、俺はアイスコーヒーを噴き出してしまった。
静まり返る店内で、俺に注目が集まってしまう。
「もう、どうしたの! ほら」
「い、いきなりなんの話だよ!」
カリンにナプキンを渡され、口とテーブルを拭く。
彼女? なんでいきなりそんな話になってんの?
「いや、だってさぁ? 私もケンタくんのこと、実は何も知らないんだよ?」
「そりゃそうかもしれないけど、質問が直球すぎるだろ?」
大丈夫? 俺、顔が赤くなってない?
ナプキンで何度も口元をぬぐいながら、突然の恋バナに何とか平常心を取り戻そうとする。
「ねえねえ、どうなの? 好きな子くらいはいたんでしょ?」
グイっと身を乗り出すカリンの表情は、とても嬉しそうである。
女子ってこういうとこあるんだよな! 知らんけど!
「彼女どころか、カフェで女子と二人でお茶するのも初めてだよ……」
嘘をついても仕方がないし、自分を大きく見せるつもりもなく、俺はただ正直に告白した。
だってなんの女っ気もない高校生活だったからな!
「へー、そうなんだ。まったくそんな風に見えないのに」
目を丸くしてびっくりしてくれるカリンに、俺はそう悪い気はしない。
「ずっと真面目に学校行って勉強してたよ。別に特別なこともなく、ただの平凡な日々だったよな。今考えると」
毎日学校に行って、授業を受けて、少ない友人と喋って、時間を消費していただけ。
「元の世界の生活が懐かしいよね。ダジュームにきて、大きく変わっちゃったね」
窓の外を眺めながら、カリンはしみじみとつぶやく。
その視線の先には、何を見ているのか、俺にはわからない。
「そうだな」
わからないから、なんとなく頷く。
この異世界にきて、すべてが変わった。
学校なんてなく、日常は非日常になり、常識は一変した。
「ケンタくんは死んだときの記憶がないんだよね?」
「……ああ」
この異世界に転生してきたアイソトープの、元の世界での最後の記憶は死の直前だという。
このカリンも、詳しくは聞いていないが、そのときの記憶が残っているらしい。
あのシリウスも、拳銃で撃たれて殺された時の記憶を今も引きずっている。
だけど、俺にはその時の記憶が一切ないのだ。
寝ているときの突然死だと思うが、それはそれで俺自身は気持ち悪くあるのだ。
「そのほうがいいよ。だって、今は新しい人生なんだから、昔のことはもう終わったことだもんね」
こんな話題になって、カリンは元の世界のことを思い出してしまったように、少し目を伏せる。
カリンはお嬢様だったらしく、この新しい人生をやり直すことに希望を見出していた。
俺なんかより、ダジュームで生活することにギャップを感じたのはこのカリンに違いない。
「カ、カリンはどうなんだよ? 彼氏とか?」
話題が暗くなりそうだったので、俺は慌てて質問を返す。
生死の話より、恋バナのほうがカリンは好きそうだし。
「私なんか、ずっと家で飼われていたようなものだから、彼氏どころか友達もいなかったわよ」
カリンが、さらっと、衝撃的なことを漏らす。
家に飼われていたって……?
今目の前にいるカリンは、俺がダジュームで一緒に過ごしてきたカリンとは別人のように見えてしまった。
「もう、暗くなっちゃったじゃないの! あーあ、私もダジュームに来たからには恋しなきゃね!」
俺の戸惑いが伝わってしまったのか、カリンはいつものカリンの調子に戻って、両手を上げて背筋を伸ばした。
「そ、そうだな! 俺たちも恋をしなきゃな!」
カリンのほうに気を使われたみたいで、俺も調子を合わせる。
カリンに彼氏がいたとか、何を聞いてるだよ、俺は!
そんな過去をほじくるような質問して、無神経すぎるだろ!
「私もシャルムさんみたいに合コンしようかなぁ」
「そうだな。出会いがないからな。アレアレアのミネルバさんに紹介してもらおうかな!」
「それいいかもね!」
俺は何とか話を合わせて、思ってもいないことを早口でしゃべる。
ミネルバさんとは、俺たちと同じハローワーク出身のアイソトープで、今はアレアレアで土産物屋をしている先輩だ。
「そういえば、ケンタくんはバイト終わったんだよね?」
「そ、そうだな。先週で」
さっきから会話の主導権を完全にカリンに握られているが、そのほうがスムーズに会話ができているのも皮肉な話である。
まったく、男として情けない。
「また訓練して、新しいジョブを探さなきゃね。恋に仕事に、忙しいね!」
そう言って、カリンは再び窓の外に視線を流す。
カリンも今はこのダジュームで必死に前を向こうとしているのだ。
この状況は、決して自分の望んだものではない。元の世界がいやになって転生してきたのならまだしも、これは完全に不可抗力なのだ。
ましてや元の世界で死んで転生しているわけだし、元の世界に戻れることはない。
ならばせめて、ダジュームで全力で生きるのが、俺たちにできることなのだ。
過去を背負って、未来だけを見るのは困難だ。過去は影のようにずっとついてくる。切り離すことは決してできない。
「私、もっと早くケンタくんと会いたかったよ」
ぽつりとカリンがつぶやいた。
俺は聞こえないふりをしてアイスコーヒーに口をつけた。
カリンの言葉の意味することは、俺にはわからない。
きっと俺とカリンのこの関係は、このままでいいんだと思う。
それがずるい俺の出した答え。
だけど――。
「明日のダジュームアドベンチャーワールド、楽しみだね!」
さっきの言葉はなかったかのように、カリンは俺のほうを向いて満面の笑みで言った。
「そうだな。そのために来たようなもんだからな!」
会議も終わり、俺の目的はほぼ達成された今、あとはカリンと一緒に楽しむべきだ。
だがここでもう一度、思い出されるのは今日の部屋のこと。
この後、俺たちは二人で一緒の部屋で泊まることになるのだ。
やっぱり、俺は別のホテルを探したほうがいいのではなかろうか?
なんか恋バナもしちゃったし、お互い恋人もいなかったって暴露しちゃったし、これはこれで変な流れになりそうじゃない?
恋にへたれまくる俺は、再び緊張がぶり返してきた。
「やっぱり、一緒の部屋に泊まるのは……」
そう言いかけたときだった。
「カリンちゃーん!」
どこかで聞き覚えのある声が、耳に届いた。
「ホイップちゃーん! こっち!」
その声に、カリンが俺もよく知っている名前を叫ぶ。
ふと振り返ると、カフェにちゅらちゅらと飛んでくる、妖精さんの姿が。
「ホ、ホイップ? なんでここに?」
その見慣れた姿と声に、俺は目を見開いた。
ここはハローワークではなく、ラの国の首都である。
なぜこんなところにホイップがいる?
「それはこっちのセリフですよ。なんでケンタさんがいるんですか? 私はカリンちゃんと待ち合わせしてたんですよ?」
ホイップは俺たちのテーブルまで飛んできて、カリンとハイタッチし終わると俺をにらむ。
今日もいつものメイドさんのような服装だが、エプロンはしていない。そしていつもの武器のバターナイフも持っていない、完全によそ行きの格好だった。
「待ち合わせ? どういうこと?」
まさかのホイップの登場に、俺は状況が呑み込めていない。
「ホイップちゃんは国際妖精会議に出てたのよ。それで、ここで待ち合わせしてたの」
「こ、国際妖精会議だって?」
首都では今日は会議が多く開かれているとは聞いていたが、まさかホイップもそれに出席してたの?
ていうか、国際妖精会議ってなに? そんなのあるの、この異世界には?
「そうですよ。私はダジュームの妖精協会の理事なんですからね! ケンタさんは所長代理でいい気になってるようですけど、地位は私のほうがずーっと上なんですから!」
ホイップは胸元につけられたピンバッチを、堂々と俺に誇示してくる。
さっぱりその地位の高さは理解できなかったが、ホイップがただの妖精ではないことはわかった。理事だもの。
「ホ、ホイップも来てたのか……」
「どうしたの、ケンタくん? なんかガッカリしてない?」
カリンがすかさず俺の顔を覗き込んでくる。
「ホイップが来ること、最初から知ってたのか?」
「もちろん。みんな一緒のほうが楽しいでしょ?」
カリンはすべて知ったうえで、俺と同部屋を受け入れていたのか!
そういや今朝の見送りの時も、ホイップはいなかったよな?
すでに首都に来ていたとは!
「ケンタさん! もしかしてカリンちゃんと二人っきりで同じ部屋に泊まれると思ってたんでしょ? エロいこと考えて!」
「そそそそ、そんなこと考えてないよ!」
ホイップが俺の前に飛んできて、図星を食らわせてくる。
さっき、俺はやっぱり別の部屋に泊まったほうがいいんじゃないって言おうとしてたんだからね?
「こんな危険極まりない男子と同じ部屋にカリンちゃんを一緒に寝かせるわけにはいきませんからね! 私も一緒に泊まって、ケンタさんを監視しますから!」
俺の鼻先に小さな指を突きつけてくるホイップ。
「だ、だれが危険なんだよ!」
俺はそう言いながらも、なぜか落胆と安心というアンビバレントな感情に同時に襲われていた。
でもホイップを交えて三人で泊まるなら、これで俺も変な緊張しなくてもいい。
「じゃ、部屋に戻りましょ!」
カリンはバッグを持って、席を立った。
きっとこれでよかったんだ、と俺もカリンに続く。
ほっとしたような、やっぱりちょっと残念な……。
そんな気持ちになりはしたが、俺はホイップに監視されながら、その日はソファで眠ったのでした。
異世界でラブコメなんか、ありえねーよ!
そう。この異世界で俺の運命に降りかかるのはラブコメではなく……?
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