「ケンタくん……、だね?」
アレアレアの町で呼び止められ、振り返るとそこにいたのは……。
「誰ですか?」
マント姿の見知らぬ男だった。
いや、男だと分かったのはその声のせいで、今目の前にいるのは頭を布でぐるぐる巻きにして目の部分だけがかろうじて見えている男であった。
「ちょっと、いいかい?」
怪しすぎる男に声をかけられ、はいそうですかとついていくほど俺も警戒心が低くない。
昔から母親には知らない人にはついていっちゃダメと教育されてきたのだ。
ましてや知らないどころか、明らかに不審者である。いや、変態まである。貞操の危機である。
「いえ、よくないです。さようなら!」
考えると、このアレアレアの町で俺のことを名前で呼ぶ人物は限られている。
とある事情から、俺は「裸のあんちゃん」と呼ばれることが常で、名前で呼んでくるということは明らかに不審なのだ。
俺はダッシュでその場を離れた。
逃げ足だけは日々の訓練で鍛えているので自信がある。いつどんなときだってモンスターから逃げられるようにしているからな!
「待ちたまえ!」
「え?」
だが、俺は一瞬で背後から肩を掴まれ、足を止められた。
まさか追いつかれるとは思わず、俺は背筋が凍るような感覚でもう一度振り返る。
すると男は俺の肩を掴んだまま、反対の手で顔の布をずらした。
その下から出てきた顔には、俺にも見覚えがあった。
「ここで名前を言うのは遠慮してくれよ。パニックになってしまう」
男は小声でそう言うと、再び布で顔を隠した。
「行こうか。来てくれるね? ケンタくん」
俺もだまって頷くことしかできない。
くるんと踵を返した男は、そのまま中央通りを横断して歩いていく。
もはや逃げられる気もしなかったし、逃げるつもりもなかった。
しかしなぜこの男が俺のことを? そして俺に何の用があるというのか?
頭の中で巡る疑問の答えを考えながら、俺はゆっくりと男のあとをついていった。
その男、勇者クロスのあとを。
勇者クロスにつれていかれたのは、一軒の宿だった。
勇者たちが泊まるにはボロすぎる、よくいえば庶民的な宿であった。
その中の一室に入ると、ようやくクロスは顔の布を取った。
「勇者、クロス……」
ようやく俺はその名を口にした。
「はじめまして、だね。こうやって会うのは」
その小さな部屋で、クロスは俺に右手を差し出してきた。
「はい。俺は、パレードで」
俺も少し緊張しながら、クロスと握手を交わす。
勇者と会うのは、あのパレード以来だ。
「ま、座って。いきなりで悪かったね」
クロスに勧められて、俺は椅子に腰かける。
ふと窓際の壁を見ると、そこにはパレードで装備していた鎧や剣が立てかけられていた。今はマント姿だが、彼が勇者クロスであることの証左であった。
「本当にアレアレアに残っていたんですね? 町では噂にはなってたけど……」
勇者パーティーが未だ町に滞在しているという都市伝説レベルの噂は、俺の耳にも入っていた。
だがこうやって会うことで答え合わせをするとは思わなかった。
「ああ。いろいろあってね」
クロスは含むように、椅子に座る。
「あの、なんで俺を? 何かしましたか?」
もちろん俺と勇者は面識などなく、探るように尋ねる。
一方的にパレードで見ただけで、名前を名乗ったこともない。
むしろ自分の名前を叫びまくっていたシリウスのほうが、勇者にワンチャン知られていてもおかしくない。
「怪しまないでほしい。護衛団の人に調べてもらったんだ。いや、悪い意味じゃないよ」
そう言ってクロスは手を振ってはにかんだ。
おそらく俺とは同世代だが、勇者という肩書を誇示するような偉そうなところはない。
むしろフレンドリーで、パレードで見た愛想のいい印象そのままだった。
いい意味で裏表のない、好感の持てる好青年に思えた。
「本当にこの町の人々には迷惑をかけてしまった。我々がスカーに化けたモンスターをこの町に入れてしまったことで、スネークさんを亡くす結果になってしまった」
クロスは握った拳を手のひらにぶつけながら、あのときの事件を振り返る。
「街に入る前に、我々がスカーの異変に気づいていればこんなことにはならなかったんだ。しかも、最後まで我々は何ひとつできないまま、すべてを知ったのは事件が解決した後だった。情けない話だよ、何も知らされず、自分たちも何も気がつけなかった」
俯いたままのクロスの口調には後悔だけが滲んでいた。
確かに、まんまと騙された勇者たちは戦士スカーに化けたモンスターを町に招き入れてしまった。
その結果、スネークが殺され、町の結界が解除されそうになった。
その時も勇者たちは、まったく蚊帳の外にいた。
それはすべて護衛団が勇者パーティーに気を遣って内密にしていたというのが原因なのだが。
そして、すべてを解決したのは誰あろう、シャルム。
「でもあれは護衛団の人たちが黙っていたんでしょう?」
さすがに迂闊すぎた勇者を全面支持するわけにもいかないが、一応フォローにまわる。
クロスが言う通り、あの街に入る前にモンスターに気づいてさえいれば、スネークさんは殺されなかったのは事実だ。
「勇者として、こんな情けないことはない。言い訳をしなければいけない勇者なんて、誰が応援してくれるいうんだ」
もちろん、それを一番理解しているのが勇者クロス本人なのだ。
俺は返す言葉をなくしてしまう。
「それで君たちのことを聞いてね。せめてお礼だけでも言いたかったんだ」
す、と顔を上げるクロス。
「ありがとう」
クロスは俺に向かって、頭を下げた。
「いや、俺は何もしてないですよ」
これは謙遜でも何でもなく、事実である。
それこそ勝手に邪推だけをして場を荒らしそうになっただけだ。
むしろシャルムを疑っていたところもあるのだが……。
「シャルムさんにもお礼を言いたかったんだが、我々のパーティーが直接ハローワークを尋ねるといろいろと問題があるそうなんだ。悪い意味で、騒がせてしまう」
「勇者とはそういう立場だってことは理解してます」
勇者専門の雑誌があるくらいだ。ついさっきも外に出るのに顔を隠さなくてはいけないことが証明している。
「それに今回の事件は、モンスターの存在は住民には完全に隠されている。町にモンスターが侵入したと知れれば、大変なことになるからね。私もこうやってこっそり会うことしかできないのは、申し訳ないと思っている」
クロスももう一度、大きく頭を下げた。
クロスの言う通り、この事件はすべて住民たちには隠蔽されていたのだ。
アレアレアの町長による声明では、あの日起こったことはすべて事故だったと発表された。
スネークさんの死も不運な落雷事故として処理され、すでに葬儀はラの国の国葬として執り行われていた。
町の結界についてもスネークさんの死後は別の魔法使いによって張り直されたとだけ発表され、すべてを知る俺たちはいまいち納得ができない結末を迎えていたのだった。
しかし本当のことを発表するとパニックが起きかねないという判断は、仕方がないことかもしれない。
なにより、この事件の真実は勇者たちの価値を下げかねることになるのだから。
「シャルムさんには、また落ち着いたらお礼をさせてもらいたい。今は、君から伝えておいてほしい。感謝しています、と」
いたって静粛に、クロスはシャルムへの謝辞を示す。
「分かりました。シャルムは……、たぶん当たり前のことをしただけだと思っていますよ。そりゃ師匠のスネークさんが亡くなったのは辛いと思いますけど」
「……すまない。本当に、すまなかった」
スネークの名を出すと、クロスはまた深く頭を下げる。
さすがにシャルムがクロスのことを「若造」呼ばわりしていたことは、言えそうにもない。
「じゃあ、俺は帰ります。俺みたいなアイソトープが勇者と会ってるのが分かったら、怪しまれますから」
なんたって俺はこの町では「裸のあんちゃん」なのだ。勇者とは程遠いところに位置している。
「ああ、すまない。気を遣わせて」
顔を上げた勇者の顔は、どこか憔悴しきっているようだった。
やはり相当の責任を感じているのが見て取れた。
「スカーさんにも、お大事にと伝えてください。では、失礼します」
最後に今も石化の呪いを受けていると聞いた戦士スカーの身を案じ、俺はそのまま部屋を出ようとしたところ。
「あ、ケンタくん」
「はい?」
最後に呼び止められ、振り返る。
「スカーは死んだよ。シャルムさんの金の針は、間に合わなかったんだ」
「え……?」
クロスの衝撃の一言に、俺はしばらく扉の前で立ちすくんだ。
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