「じゃあ、いってきます……」
ダジュームの夜が明け始め、遥か先の山際に朝日がはみ出してきたころ。アレアレアの見張塔で、俺はシャルムにひと時の別れを告げる。
思えばシャルムとの別れはこれで三度目だ。
一度目は俺がハローワークを家出した時。これは別れもへちまもなく、俺が何も言わずに飛び出しただけだ。
二度目は魔王城への出向の時。勇者やランゲラクに命を狙われる俺の身を隠すために、魔王城へと行くことになった時だ。
そして三度目。
今回ばかりは期限が決められている、一時的な別れだった。
俺がこの【蘇生】スキルで魔王ハデスを生き返らせるかどうか、その決断をするために一年間の猶予を与えられたのだ。
これまでなら有無を言わせずこの場でさっさと決めろと脅してきたであろうシャルムも、今回ばかりは優しいというか慎重というか。どっちにしろ俺はじっくり考える余裕がもらえる形になった。
「ちょっと待って」
背中から光の翼を出そうとオーラを集中させていたら、シャルムが声をかけてきた。
「なんだ? やっぱ今すぐ決めろって言うんじゃないだろうな?」
振り返るとシャルムがちょいちょいと手招きをしていた。
「違うわよ。あなた、【変化】の魔法は使えないの? ……って、使えるわけないわよね。聞いた私がバカだったわ」
質問しておいて、答えを出すのが早すぎません?
そりゃそんなスキル使えませんけどね!
「さすがに監視しているとはいえ、その姿で世界中を歩き回るのはちょっと不安だわ。これを持っていきなさい」
シャルムは自分の首の真後ろに手を回し、いつもつけていた黒い宝石の着いたネックレスを外した。
「え、ちょっと待って?」
ネックレスを外した瞬間、シャルムに変化が起こった。
額から、黒い角がにょきっと生えてきたのだ。
「これは私の角を隠すために【変化】の魔法がかけられたネックレスよ。ダジュームに来るとき、ベリシャスがくれたの。これであなたも少しくらいは姿を変えておいたほうが安全よ」
ネックレスを俺に差し出すシャルムの顔を、俺はじっと凝視していた。
いまだ半信半疑だった人間とモンスターのハーフという事実を、まさに実感させられている。その黒い角は、兄のベリシャスと同じようなものだった。
「こ、これを付けたらどうなるんだ? ベリシャスにかけられたときみたいにデーモンにならないだろうな?」
「私の角を隠すくらいの弱いオーラしか纏ってないから、そんな極端に変化しないわよ。ほら、付けてみて」
俺は若干ビビりながら、そのネックレスを受け取る。
最初に会ったときからずっとシャルムの首にかかっていたネックレスにそんな効果があったとは思いもしなかった。
黒い雫の形をした宝石が朝日できらりと煌めく。
シャルムの言葉を信じて、俺は静かに丁寧に、首を通す。
「……ん?」
【変化】の魔法が込められたネックレスを身に着けるが、俺の中で特に変化は感じられなかった。体内のオーラが活発化する予兆もない。
「……あら?」
するとシャルムが俺の顔を見て、眉間に皺を寄せた。
いやな予感である。
「ど、どうしたんだ?」
シャルムの視線が徐々に俺の額のほうに上がっていく。
俺は恐る恐る両手をもっていく。
「こ、これは?」
手に触れたのは、ひんやりと冷たい無機質なモノだった。
モノっていうか、これ……?
ツノ?
「角、生えとるやないか!」
額の真ん中から、ポッコリと角が生えていたのだ!
といってもベリシャスのような鋭利な角というわけではなく、むしろ「子どもの赤鬼」って感じの丸っぽい角だった。
「なんだよ、これ! 隠れるどころか、私はモンスターですって言ってるようなもんじゃねーか!」
俺はすぐにネックレスを外すと、角も引っ込んだ。
「あなたらしいかわいい角だったのに」
シャルムが残念がるが、そういうことじゃない!
「こんなの使えねーわ! 返すよ!」
「待ちなさいよ。あなたのイメージが悪いのよ。角が生えることでも考えてたんじゃないの?ちゃんとなりたいものを想像しながら、ネックレスを付けるのよ。遊びじゃないのよ!」
またもしっかりと叱られてしまう。
確かにさっきはシャルムの角のインパクトが大きすぎて、ずっとそのことを考えていた。俺にもその角が生えてしまったのはさもありなんである。
「なりたいものって……」
「なんでもいいわよ。さっさと変化して、どこへでも行きなさいよ」
もう俺に飽きたのか、それこそ自分も早く帰って眠りたいのか。大きなあくびをするシャルムは、後者のようだ。
「なんだよ、もう……」
しかし俺も身の安全を担保にかけられたら、適当なことはできない。デーモンほどじゃないにしろ【変化】することに越したことはない。
「なりたいもの、なりたいもの……」
俺は目を閉じ、なりたいものを思い浮かべる。
……。
…………。
………………。
俺は何になりたいのだろう?
元の世界で普通の高校生だった俺は、将来の夢なんて真剣に考えたことはなかった。そのまま受験勉強をして大学に行って、おそらく就職をしてサラリーマンになっていただろう。
特にどんな勉強がしたいとか、どんな仕事をしたいとか、そんな夢なんて何もなかった。ただ周りに流されていただけ。
そんな矢先、俺はどうやら元の世界で死んでしまって、このダジュームに転生してしまったのだ。
そしてダジュームではスキルの習得をして生活が自立できるように訓練を受けた。できることならば図書館の司書や宿屋のフロントみたいなまったりスローラーフを送りたいとは思ったことがある。
でもそれはこのダジュームで生きるための消去法的に考えたことで、俺の本当の希望ではない。
じゃあ俺は、本当は何がしたいんだ?
ちらっとシャルムを見ると、俺をまっすぐ見つめている。俺の逡巡が見透かされているようだった。
「なりたいもの……」
俺はそっと、再びネックレスを首にかけた。
俺は今、このダジュームという異世界で生きている。本来、俺の人生はここダジュームにはない。
人間とモンスターが何百年も争っていて、勇者がいて魔王がいて、その中心にいるのはなぜか俺で、この【蘇生】スキルが運命を握っている。
これが現実なんだ。
もう俺は、逃げられない。自分でこの現実を、この運命を切り開いていかなければいけないんだ。
だから、俺は……。
ネックレスを付けると、体中のオーラがふんわりとあったまるような気がした。
俺は自分の両手を見つめて、頭を触る。今度は角は生えていなかったし、他に変化したような気がしない。
「あれ? 失敗?」
ペタペタと顔を触るが、いつもの感触だ。デーモンになったわけでもなさそうだった。
「なるほどね。あなたはあなたってワケね」
「俺は、俺……?」
きょとんとする俺を、シャルムは真面目な顔で見つめている。
「変化する必要がないってことなのかもね。その姿が、あなたがなりたい姿なんじゃないの?」
「ど、どういうことだよ? 変化しなきゃ、危険じゃないのか?」
まさか変化しないなんてこと、考えもしなかった。
でも――。
「あなたはあなたとして、ダジュームでやりたいことをやってみなさい。ケンタ・イザナミ」
シャルムは俺の名前を、力強く言い切った。
「俺は、俺として……」
伊佐波ケンタというのが俺の本名だ。
俺は俺として、このダジュームにやってきた。このダジュームで何がしたいか、何になりたいか。
俺は俺のままで生きたい。
それが答えだった。
「わかった。ケンタ・イザナミとして、一年間旅に出てみるよ」
首につけたネックレスを外そうとしたところ。
「ああ、それはあなたが付けてなさい。一年後に返してくれたらいいから」
シャルムが片手をあげた。
「いいのか? でもシャルムの角……」
「私ならもう自分で【変化】くらい使えるわよ」
と、シャルムは自分の角に手を当てると、次の瞬間には角が消え去っていた。
「それなら、俺が預かっておくよ」
「一年後に返してくれたらいいわよ。なくしたら弁償よ」
「はいはい、大事にしますよ!」
結局ネックレスを付けても俺には【変化】の魔法がかからなかったが、これはお守りとして身に着けておくことにする。
「でも、どこかでモンスターに襲われたら助けてくれよ? 基本的には俺なんてできそこないのアイソトープなんだからな! 魔法なんて使えないし!」
「わかってるわよ。ほら、早く行きなさい! 気が変わらないうちに」
今度はシャルムはしっしと手のひらを振る。
相変わらず、鬼の所作である。
「じゃあ、一年後な……」
「そうね。しっかり、考えなさい」
シャルムの眉がふと下がる瞬間を見逃さなかった。
そんな顔を見ていると、一時的な別れだとしても胸が苦しくなってしまいそうで、俺はくるんと背中を向けた。
そして背中にオーラを集中させる。
「じゃ、いってきます」
背中に光の翼を展開する。
そのまま俺は振り返ることなく、見張り塔から飛び出した。
目の前に広がるダジュームの空と、突き刺さるような朝日に向かって。
これは俺が俺であることを見つけるための旅だと信じて――。
だけどこのとき、俺はまだ気づいていなかったんだ。
一年後、俺がどちらの決断をするにしろ、きっと今までとは同じような生き方はできないっていうことを。
だからシャルムは、この一年間でやり残したことをすべてやらせようとしてくれたってことを。
これからの一年は、俺の最後の一年になるということを――。
第11章『シャルム・ヴァイパー』完
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