魔王城。
裏の世界の象徴ともいえるこの城には、今は魔王ベリシャスしか住んでいない。
これまでの歴代勇者も打倒魔王をただひとつの目標としてこの城を目指してきたはずだ。
だがここまでたどり着いた勇者は何人いただろうか? 実際に魔王の姿を見た人間は、どれほどいただろうか?
きっと勇者たちがこの城へたどり着くためには想像を絶する覚悟と犠牲を払うことになるだろうことは、想像にたやすい。
そんな雨夜の月ともいえる魔王城に、俺たちはすいすいと到着した。
「ベリシャス! 聞きたいことがあるんだ!」
ドンドンと魔王の部屋の扉を叩いていると、その腕をジェイドに掴まれた。
「お前! 失礼なことをするな! 魔王様の部屋の扉を叩くなど、言語道断!」
「うるさい! どうせ昼寝でもしてるんだろうから、これくらいやらなきゃ起きないぞ! ベリシャス! 起きろ!」
「魔王様が昼寝などなさるわけがないだろうが!」
怒りと恐怖で顔面真っ青なジェイドと、ため息をつきながら顔を覆うペリクルを無視して、ガチャガチャとノブを回す。
すると間もなくして内側から扉が開けられた。
「ちょっとケンタ。昼寝してたのに起こさな……」
半目であくびを噛み殺しながら部屋から顔をのぞかせたベリシャスは、俺の後ろにジェイドとペリクルがいることに気づき、「はっ!」と動きが止まる。
「……な、何か用かケンタよ。私は今後の作戦を練っていたところなのだ」
と、急にシャキッと背筋を伸ばして男前な顔を作った。
やっぱ昼寝してたんじゃねえか。部下の前ではちゃんとしやがって!
「いきなりどうした? 私の指令は達成したのか?」
「あ、魔王様! 無事にホイップには会うことができました! すべて魔王様のおかげです。ありがとうございました!」
ささっとペリクルが前に歩み出て、魔王に報告とお礼を述べる。
「ああ、そうか。大儀である」
こほんと、威厳を保つように咳払いをするベリシャス。
「それよりも聞きたいことがあるんだ。中、入るぞ」
俺はずんずんと魔王の部屋の中に入り込む。
「おい、礼儀をわきまえんか!」
「ああ、ジェイドもいたのか。ご苦労だった、お前たちも入りたまえ」
ここでようやくジェイドの存在に気づいたかのように装うベリシャス。実に白々しい魔王である。
「いえ、私は今はランゲラクの下の者です。怪しまれるわけにはいきませんので、ここで……」
スパイとしてランゲラク軍にもぐりこんでいるジェイドは、ささっと後ずさる。
「まあいいじゃないか。この城まではあやつの目は光っておらぬ。ん? ……ちょっと待て、その腕はどうした?」
ジェイドの肘から下が切り取られた左腕に気づくベリシャス。
ランゲラクに責任を問われて自ら切り落としたのだった。
「これは、いろいろありまして……」
「これは大変だ。中に入りなさい。これは命令だ」
と、ジェイドとペリクルに部屋へ入るように命じた。
「俺も左腕が切れてるんだけどな……」
「ああ、そうか。それは気の毒にな。お大事に」
俺もシリウスに切られた左腕を見せるが、ベリシャスに流された。この野郎……!
「切られた腕はあるのか?」
「それはこちらに」
ベリシャスの問いに、ペリクルが腰につけた袋からジェイドの腕を取り出す。あのとき、ちゃんと拾ってきたらしい。
「確かペリクルは回復魔法を使えたであろう? ジェイドの腕を繋げてやってくれ」
「もちろんそのつもりでした。では……」
魔王に命じられて、その細白い腕をジェイドの腕の切り口に合わせる。
「【回復】……!」
切り口を包むようなペリクルの手がぽわんと光る。
まるで俺が【蘇生】のスキルを使ったときのように、ペリクルの手のひらにオーラが集中し、ジェイドの傷口に吸い込まれていく。
やがてペリクルが手を離すと、ジェイドの腕は見事に繋がっていた。
「すまない、ペリクル。助かった」
ギュッギュっと左こぶしを握り締め、回復具合を確かめるジェイド。
「それでよい。さすがに片腕だと業務に支障が出るからな」
ベリシャスも満足そうに頷いた。
「魔王様、ついでにこっちの腕もあるんですが……」
ペリクルは袋からごろんと黒太のでかい腕を床に転げ落とした。
「おい、俺の腕を粗末に扱うなよ!」
「ついでにそっちも繋げてやってくれ」
「はい」
俺のほうはついでかよ!
しぶしぶといった感じでペリクルが俺の腕を持って、同じく【回復】の魔法をかけてくれる。
「動かないでね。ずれたら、面倒よ」
「お、おう……」
ペリクルの手ではデーモンの俺の太い腕は覆いきれなかったが、温かい光が俺の傷口を囲んでいく。
なんだか腕にアイロンをかけられたような感触がして、じわじわと傷口がふさがっていく。
「これで大丈夫よ」
ぱちんと腕を叩いて、処置が終わったことを知らせるペリクル。
「すげえな……」
俺もジェイドと同じように繋がった左手を動かすが、なんの支障もなく元通りに戻っていた。
「では、私はこれにて業務に戻ります」
「そうか。引き続き、頼むぞ」
さっと頭を下げるジェイドに、ベリシャスが片手を上げて労う。
そしてジェイドは何事もなかったかのように部屋を出て、ランゲラク軍へと戻っていった。魔王への忠誠を示しつつも、仕事に向かう背中は立派なものだった。
俺ならあんなランゲラクの下でなんか絶対働きたくないからな。あそこ、絶対にブラックだぜ?
「で、ケンタよ。何か用があると言ってなかったか?」
「そうだそうだ。あ、とりあえず、この姿はなんとかならないのか? もうもとに戻してくれてもいいだろ?」
このデーモンの姿で助かったことも多々あったが、いつまでもモンスターでいるわけにはいかない。やはり俺はできそこないだとしても、アイソトープが本来の姿なのだ。
「そうか。任務は完了したので、元に戻ってもよいだろう。ペリクルもこちらへ」
さっと片手を上げたベリシャスのもとに、俺とペリクルが並んで立つ。
「【変化】……!」
今度は一瞬だった。
マジシャンが指を鳴らした瞬間に鳩が飛び立つように、俺とペリクルの体は一瞬で元の姿に戻った。
「よかった、戻れた……!」
それは慣れ親しんだ姿だった。
旅行から帰ってきて「やっぱり家が一番や」の感情である。
ペリクルも同じように、小さな妖精の体に戻って、羽をパタパタと動かしている。
「よし、じゃあ本題に入るけどさ。あのダジュームとここを繋ぐゲートを作ったのって先代の魔王なんだってな?」
俺は気持ちをはやらせながら、ベリシャスに疑問をぶつける。
これまで諦めていたことに、わずかに灯った希望の光を手繰り寄せようと必死だった。
「……ああ。そうだが?」
「ベリシャスは新たにゲートを作ることはできないのか? 魔王なら、それくらいできるだろ?」
「ケンタ! 口を慎みなさい!」
これにはペリクルが俺の背中にタックルしてくる。
「ペリクル、君は席を外してくれ。ここからはケンタと二人で話す」
ベリシャスはペリクルを制し、自らは玉座へと腰を下ろした。
「は……、はい」
反論できないペリクルはギリッと俺をひと睨み、そのまま部屋を出ていった。
「はぁ。ジェイドたちを連れてくるなら先に言っといてくれない? いきなりキャラを切り替えるのは難しいんだからさ! しかも昼寝中に!」
ようやく二人になったベリシャスは、椅子にもたれかかって本音を吐き出した。
「知らねえよ! 魔王だったらいつもシャキッとしといてくれよ! 油断しすぎなんだよ!」
「魔王だって昼寝くらいしてもいいだろ! 昨夜は遅くまで作戦を練ってたのは本当なんだからさ」
いつもの調子に戻ったベリシャスは、この裏の世界を統べる魔王なんかには見えない。
「そんなことはどうでもいいんだよ。あのゲートのことを聞いてるんだよ!」
「あのゲートは兄が作ったものだよ。あれのおかげでこの裏の世界とダジュームを誰でも行き来できるようになって、便利になったもんだよ」
「ちょっと待って? じゃあそれ以前もダジュームには行くことができたのか?」
「【ワープ】の魔法があればね。だけど【ワープ】じゃ同時に一人くらいしか連れていけないから効率が悪いんだよ。昔は魔王軍にもダジュームに移動するためだけのワープ部隊なんてチームがいたんだから。ひたすらモンスターをダジュームに連れていっては戻っての繰り返しの激務な仕事だよ。人力タクシーみたいなもんだね」
ベリシャスが昔を思い出すように斜め上を見上げる。
【ワープ】の魔法って別世界にも移動できる? いや、そういえば俺がこの魔王城に最初に来たときはシャルムの【ワープ】だったんだ。
「ちょっと整理させて? ゲートができる前から裏の世界とダジュームはワープで移動することができた、と?」
「そうだよ」
「でも確か【ワープ】の魔法って一度自分で訪れた場所にしか行くことができないんだよな?」
「そうだね」
「じゃあさ、一番最初にダジュームと裏の世界を紐づけた奴がいるってことだよな? そいつが最初に世界の間を【ワープ】で移動して、誰かを連れて行ったことで移動できる奴が倍々に増えていったってことだよな?」
「その通りだね。誰かに連れて行ってもらえば、【ワープ】の移動場所の履歴として刻まれるから、次からは一人でも移動できる。【ワープ】自体はそんなに難しい魔法じゃないからね」
「その最初の人物は、どうやってダジュームのことを知ったんだ? いや、逆かもしれないな。とにかく、最初は別の世界に【ワープ】しないで移動してきたってことだろ?」
一度その場所に行ってしまえば【ワープ】で移動できるようになる。だが、最初はその場所へ自力で移動しなければいけないのだ。ダジュームの人間なら裏の世界へ、裏の世界のモンスターならダジュームへ。ゲートもなければ、どうやって――?
「……」
この俺の疑問には、ベリシャスも口元を押さえて黙ってしまった。
その最初の人物を知っているのか、それともこの謎に今初めて気づいたのか、沈黙の意味は図り取れない。
「その最初の人物はどうやって別世界のことを知ることができたんだ? そしてどうやって移動したんだ? それが人間かモンスターかはわからないけど、そいつがダジュームと裏の世界を繋げたおかげで、こんな争いが起こったんじゃないの?」
勇者とモンスターが戦うことになったのは、ひとえにお互いの世界が繋がってしまったからだ。そう考えると、最初の人物は侵略を目的としたモンスター側である可能性が高い。だからベリシャスも口をつぐんでいるのか……?
黙るベリシャスに向かって、俺は続ける。
「いや、それよりも俺が聞きたいのは……。どこか別の世界に移動する手段があるんだったら、俺も元の世界に帰れるんじゃないかってことなんだ。その最初の人物……、ファーストムーバーが別世界を見つけて移動した手段があるんなら知りたいんだ!」
別世界を見つけ、最初に移動した人物――ファーストムーバー。
そいつのことが分かれば、この異世界の謎が解けるかもしれない。人間ならばもう死んでいるかもしれないが、そいつはモンスターならば、今も会うことができるかも。
俺はついに元の世界に戻る方法に手が届きそうになっていた。
これが希望なのか絶望なのか。この時の俺にはまだ分かっていなかったのだが。
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