「うわぁ、すっごーい!」
部屋に入ると、カリンが歓喜の声を上げた。
ここはダジュームコンチネンタルホテルの一室。シングルの部屋ではあるが、間取りはハローワークの事務所のリビングを優に超える広さであった。
内装やセンスもさすが四つ星ホテル、と舌を巻いてしまう。
「では、ごゆっくりどうぞ」
荷物を運んでくれたベルボーイがゆっくりお辞儀をして部屋を出ていった。
ごゆっくり、と言われても俺はそれどころではなかった。
もちろん午後から出席する予定の会議のこともあるのだが、今夜はこの豪勢な部屋に俺はカリンと二人きりで泊まることになっているのだ。
そのことを考えると、なんだか顔が熱くなってくるのである。
「どうしたの、ケンタくん? 仮眠とるんなら、ベッド使っていいよ?」
カリンがベッドを勧めてくるが、この部屋にはベッドは一つしかない。
「あ、いや。俺は会議の予習をするよ」
逃げるようにソファに身を沈め、会議の資料を取り出す。
「そう? じゃあベッドお先!」
と、カリンがふわふわのベッドにダイブする。
「きゃぁ、ふわふわだよ! 超ぐっすり寝れそう!」
ゴロゴロとベッドに転がる子供のようなカリンを、俺は資料で顔を隠しながらそっと盗み見る。
カリンはこの状況、どうも思っていないのだろうか?
今はいいが、夜は二人でここに泊まるんだぞ?
ベッドはひとつしかないんだぞ?
一緒に寝るんだぞ?
「ねえケンタくん。夜ご飯どうする? このホテルのレストランもすっごい豪華よ! 全部美味しそう!」
ガイドブックを開いて、本当に旅行気分のカリン。
「あ、カフェもある! 会議が終わったらここでお茶しましょ!」
俺は悶々と、いけないことばかりが浮かんでくる。
これはもう、会議どころではない! 俺の頭がふわふわしすぎ!
「さ、先に着替えるわ……」
言ってる間に、すぐに会議場へ向かわなくてはいけない。
俺はシャルムに作ってもらったスーツに着替えようと、洗面所へ向かった。
洗面所の大きな鏡の前に立ち、真っ赤になった自分の顔を見ると恥ずかしくなってくる。
「俺は何を期待してんだよ!」
バチンと、腑抜けた顔を叩く。
「まずは会議だ! こんなことに動揺して、会議でミスったらシャルムにぶっ殺される!」
命あっての物種である。
とりあえず本来の目的である会議での発表をクリアしなくては!
夜のことはそのあと考えよう。そうしよう。
俺は慣れないスーツに着替え、鏡に姿を映す。とりあえず、形だけは整ったようだ。
「うわ、ケンタくん、スーツ似合うじゃん!」
部屋に戻るとベッドで寝転がってガイドブックを読んでいたカリンが顔を上げ、びっくりしたような声を出す。
馬子にも衣裳とでも言いたいのだろうか。
「遅刻したらダメだから、俺そろそろ行くわ」
そもそも慎重な俺は普段から五分前行動どころか一時間前行動を心掛けている。何より初めてのことをするときにはこれくらい慎重なくらいで十分なのだ。
ましてや今日は会議に出席するのである。前日入りするくらいでも早くはない。
「早くない? 気合入ってるね!」
気合なんかではない。ただのビビりだ。
慣れないネクタイに首を絞められながら、俺は鞄を持つ。
「ちょちょちょ! 私も行くってば!」
慌ててカリンもベッドから跳ね起き、俺についてくる。
「……カリンも行くのか?」
「当たり前でしょ。ケンタくんの雄姿、見届けないでどうするの?」
さも当然のように、カリンが腰に手をやる。
「それにシャルムさんに報告しなくちゃいけないでしょうが。ちゃんと発表できてたかどうか!」
それが一番困る。できればこっそりと終えたかったのに!
「じゃあ、行くぞ」
「あ、ネクタイ曲がってるよ。こっち向いて!」
グイっと顔を近づけて、カリンが俺のネクタイを直してくれる。
「あ、ありがとう……」
急に近づいたカリンの顔を、息を止めながらじっくり見る。
……なんだ、このラブコメみたいな展開は?
俺はハローワーク所長代理として会議に出席しにきただけなんだぞ?
「じゃ、行きましょ! レッツラゴー!」
まっすぐになった俺のネクタイをポンポンと叩いて、カリンが部屋を出る。
俺は胸が飛び出そうになるのをぐっと我慢し、深呼吸をしてカリンに続いた。
フロントに会議場の場所を聞くと、すぐ向かいのビルらしかった。
一時間前行動にしても早すぎる到着だが、これくらいでちょうどいいのだ。初めての経験というのは、何が起こるか予想はできない。慎重に慎重を重ねても足りないことはない。
「さすが首都は大都会だね。アレアレアとは大違い」
会議場のビルを見上げるカリン。
その高さはアレアレアの見張り塔なんかとは比べ物にははならなかった。
「上ばっか見てたら田舎者だってバレるぞ」
「ケンタくんも田舎者でしょうが!」
こつんと肩を叩かれる。
俺たちはそのビルに入り、「国際ハローワーク会議」の会議場へと向かった。
「マジか……」
会議室に入った俺の第一声は、それだった。
会議室自体も相当な広さで、前方に「ロ」の字型の机があり、それを臨むようにずらっと傍聴席が後方に広がっているのだった。
どれくらいの人が入るのかを考えようとしたが、緊張が増しそうなのでやめておく。数百人レベルであることは間違いがなかった。
しかもまだ一時間前だというのに、傍聴席の半分くらいは人が埋まっている。
「思ってた以上に、しっかりした会議じゃないか? 俺なんかで大丈夫なのか?」
「私はここでしっかり見とくからね。がんばって!」
「あ、ああ」
傍聴席の後ろの席にカリンが陣取り、俺は前方の机に向かう。
こんなに大勢に見られながら、俺は発表しなきゃいけないのか?
ていうか、ハローワーク会議を見に、こんなに人が集まるのか? ダジュームの人は暇なのか?
「ええっと、どちらの国の?」
ビビりながら会議机につくと、すでに座っていた一人の男性に声をかけられた。
立派な口髭をたくわえた、ダンディーな紳士だった。
「あ、すいません。ラの国です。あの、今日は所長代理として……」
俺はとにかく怪しい者ではないことを伝えようとする。
どう考えても俺みたいな若者は場違いなのだ。
「ああ、シャルムさんとこの」
事情を察してくれたのか、口髭のダンディーは握手を求めてきた。
「私は隣のソの国の第一ハローワークで所長をやってる、プロキスだ。よろしく」
「あ、ケンタっていいます! あの、実はアイソトープでして、こんなところに来る立場ではないんですが!」
俺は慌ててプロキスの握手に応える。
「アイソトープ? いやはや、シャルムさんのところのアイソトープは優秀ですな! ハローワーク会議に出るアイソトープなんて初めてだ! アイソトープも偉くなったもんだ!」
プロキスは俺に、というよりはこの会議場にいる人たちに向けて、大声でそう言った。何度も「アイソトープ」という言葉を繰り返して。
皮肉であり、それを全員に周知することでマウントを取ろうとする行動に、俺は内心ムカッとする。
そして同時に、この人はアイソトープに対してバカにしているのだということが透けて見える。
「シャルムさんは何を考えてるんでしょうな? ラの国のハローワークのレベルがわかりますな!」
会場内では少し笑い声が聞こえて、俺は握手していた手を引っ込める。
このプロキスは、シャルムまでも攻撃の対象にしてきた。
「よろしくお願いします」
俺は一つ声のトーンを落として、プロキスや他の出席者に頭を下げた。
むかつく!
いや、わかっていたことだ。アイソトープというのは、大昔はモンスターを引き寄せるだけの邪魔な存在であったことは俺も理解している。
だが、そんなアイソトープの立場を一番理解しているのは、このハローワークの人たちではないのか?
アイソトープが自立できるように手助けをするのが、この人たちの仕事なのではないか?
少なくともシャルムは、俺たちアイソトープをバカにするようなことは言わない。
俺は机の下でこぶしぐっとを握った。
どこかでひそひそ話が聞こえる。
俺のことをバカにしているのだろうか?
アイソトープが場違いなのは俺もよくわかっている。
だけど、こんなあからさまな対応をされるとは思っていなかった。
俺が甘いのだろうか? これが普通の反応なのだろうか?
これがアイソトープっていう、俺たちが背負っていかなければいけないものなのか?
「……くそっ」
俺は誰にも聞こえないように、小さくうめいた。
俺がさっきまで感じていた緊張とはまたまた違った種類のプレッシャーが、俺を苦しめてくる。
やっぱり来るんじゃなかったよ。
ネガティブに考えがちな俺は、どんどん気持ちが落ちていく。
もうすべて放り出して逃げてやろうか、そこまで考えたときだった。
「ケンタくん、がんばれー! ラの国のアイソトープの優秀さを見せてやれー!」
会場の後ろのほうでそんな大声が聞こえてきた。
その声の主を探すまでもない。
カリンだった。
カリンは立ち上がって、ぐっとサムアップして、俺に笑顔を向けていた。
「カリン……」
さっきのプロキスの言葉に、傷ついたのは俺だけじゃない。
きっとカリンも、同じく胸を痛めたはずだ。
そうだ。ここは下を向くんじゃなく、この人たちを見返してやればいいんだ。
俺が立派な発表をすれば、アイソトープが、そして俺に任してくれたシャルムの評価も上がるはずだ!
「任しとけ、カリン!」
俺も立ち上がって、カリンに向けて親指を立てて見せた。
そしてプロキスをにらみつけてやる。
見とけよ。
シャルムの下で訓練を受けている俺たちの力を見せてやる!
さっきまでの緊張と後悔はすっかり抜けていた。
そして、国際ハローワーク会議が始まった。
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