魔王の部屋を出たジェイドは、そのまま魔王城の回廊を下りていた。
この魔王城は、普段はモンスターも魔王以外は常駐しておらず、ほとんどが空き部屋になっていた。
その名の通り、ここは魔王ベリシャスの城であり、それ以外のモンスターは魔王に用事があるときに訪れるだけであった。
魔王直属の執事であるジェイドも、普段は城から少し離れた塔に自分の部屋を持っていた。
もちろんジェイドもワープの魔法は使えるのだが、魔王と別れてすぐに城から飛び去っては失礼にあたると考え、この長い回廊を自分の足で上り下りすることにしていた。
そんなほぼ無人の魔王城で、階段の下からこちらに上ってくる足音が聞こえた。
「ランゲラク様」
下からやってくる人物の想像をすることはたやすかった。
この時間に魔王城の中を自由に歩けるのは、ジェイド以外では参謀ランゲラクしかいない。
魔術師らしいローブにすっかり年季の入った白髪をなびかせながら、ゆっくり階段を上がってくるランゲラク。
魔王ベリシャスの父親であり先代の魔王のときから仕えていた重鎮であり、その年齢はジェイドも知ることはない。
ジェイドが生まれてこの魔王城に配属されたときから、ランゲラクはずっとこの老人の姿のまま変わりがなかった。
「ジェイドか。魔王様に謁見しておったのか」
ランゲラクは何を考えているのかをまったく読ませない表情で、小さく口を開いてジェイドに言った。
顔に深く刻み込まれる皺は、彼の思惑と表情を隠すためであろうか。さっき魔王が、ランゲラクが何を考えているかわからないと言っていたのも、これが原因といえよう。
ジェイドもきゅっと顔の表情を引き締め、軽く頭を下げる。
こちらの意思も読み取られるわけにはいかない。さすがに魔王軍きっての魔術師とて、ジェイドの心の中を読む魔法は心得ていまい。
「はい。本日のご報告をしてまいりました」
執事のジェイドにとって、毎朝魔王城を訪れることは自然なことだった。
逆に公的な会議以外で魔王の座に向かうランゲラクのほうが不自然である。
「そうか、ご苦労であった」
それだけで、すっと階段をすれ違うランゲラクとジェイド。
もちろん身分的にはジェイドのほうが下なので、頭を下げたままランゲラクが過ぎるのをじっと待つ。
魔王になんの用事があるのかと聞きたかったが、ジェイドはそんなことができるはずもない。
「おお、そうじゃ」
ジェイドよりも二、三段上がったところで、ランゲラクが振り返る。
「おぬし、昨日はどこへ?」
ランゲラクは表情を何一つ変えぬまま、ジェイドを見下ろした。
その灰色の窪んだ瞳の奥には、すべてをお見通しだと書かれているようであった。
「昨日は魔王の命でラの国へ。それが、いかがいたしましたか?」
ジェイドもプレッシャーに屈するわけにはいかなかった。
魔王の命と言うことで、ランゲラクからのこれ以上の追及をけん制したつもりだった。
「……そうか」
その狙いが功を奏したのか、ランゲラクはそれだけ言うと再び階段を上がっていった。
ゆるくカーブする回廊からランゲラクの後ろ姿が見えなくなるのを待って、ジェイドは小走りで階段を駆け下りた。
(やはりランゲラク様は何かを疑っている?)
ジェイドが昨日、ラの国の首都にいたことは事実であった。これこそが魔王から頼まれた任務である。
だがその目的は、魔王とジェイドだけの秘密であった。
魔王もこのことをランゲラクには知られたくないようだが、なぜ知られたくないのかはジェイドが知るすべもなかった。
だがさっきのランゲラクの反応は、見て見ぬふりはできなかった。
(魔王様の目的は、ランゲラク様にとって不都合なことなのか? しかし、なぜ?)
魔王の執事という仕事柄、裏を読むことが癖になっているジェイドは、ランゲラクの言葉の裏を勘繰る。
ジェイドはそもそも行動するよりも先にあらゆる可能性を考えてシミュレーションするような慎重なタイプであった。本能で行動するモンスターのイメージとは真逆な、考えすぎな男であった。
そんな性格は魔王の執事という仕事には適格なのかもしれないが。
(ランゲラク様を疑うことはできないが、少し気になる)
自分はただの魔王の駒である。魔王に死ねといわれれば喜んで死ぬ。
魔王が望むものがあれば、それがどんなものであろうとも、どんな意味があろうとも、必ず手に入れる。
それが今回のジェイドの仕事であった。
魔王城を出たジェイドの背中から隠していた羽が一気に開き、そのまま自室のある塔へ向けて飛び立った。
(少し調べねばなるまい……)
それが魔王の意思に反することだとしても。
「おかえりなさい、ジェイド様」
塔の頂上の自室に戻ってきたジェイドを迎えてくれたのは、小さな妖精ペリクルだった。
ファの国を攻めたときに見つけた妖精の森で出会い、なぜかジェイドのことを気に入ってついてきたのだ。
今は魔王城でジェイドの雑用を担ってくれている。
骨格が浮き出たようなまがまがしいジェイドの羽とは違い、ペリクルのそれはキラキラと光りながらはためいている。
「動きはあったか?」
ジェイドはネクタイを緩めながら、ペリクルに尋ねる。
このネクタイという装飾品には、いまだに慣れないでいた。人間たちは急所である首をこのようなものを巻き付けるなんて、どういった了見なのだろうか? 防御力なんて期待できないし、これで首を絞められたらひ弱な人間など、すぐに死んでしまうというのに。
だが執事というジョブにこのネクタイは必須と聞いていたジェイドは、不満を言いながらも毎日つけていた。
ジェイドは一度決めたことは貫くという、頑固な性格であった。
「ええ。今日は朝から裏山で薪拾いをしています」
ペリクルが目の前にあるディスプレイを指さしながら、ジェイドに報告する。
その画面には、山で薪を拾っては背中の籠に入れている一人の男が映されていた。
ジェイドもちらっと確認し、返事もしないまま椅子に座る。
「本当にこの人間が【蘇生】スキルを持ってるんですか? ていうかこいつ、アイソトープでしょ? 私、信じられませんけど」
眉間にしわを寄せながら、眉唾な表情を浮かべるペリクル。
今、この画面に映っている映像はジェイドの【監視】スキルによるものであった。
一種の魔法で、この映像をこのディスプレイに映している。
ジェイドはこの魔法を「第三の目」と呼んでおり、その名の通り魔法で作り出した目玉を遠隔操作でリアルタイムに対象者を監視しているのだ。
これはちょうど昨晩、監視するターゲットにマーキングした目玉であった。
「わからん」
「わからんって、私、朝からずっと監視してるんですよ? 手っ取り早くさらってくればいいじゃないですか。こんな弱そうなアイソトープ、私だって一瞬で捕まえられますよ」
ジェイドは言いたい放題の妖精に、頭をかく。
この仕事は魔王と二人だけの秘密ではあったが、どうしても一人では手が届かない部分もあり、このペリクルには事情を話して手伝わせていた。
ジェイドが魔王に対して絶対の忠誠を誓っているように、このペリクルもジェイドに強い絆を感じてくれている。ペリクルからこの情報が誰かに漏れることはないはずだ。
ペリクルがランゲラクにこの仕事の内容を漏らすはずはない。ジェイドはそう言い切れた。
「魔王様から手荒なことはやめろとの命令だ。それに、【蘇生】を使えないのならば捕まえても意味がない」
「とりあえず捕まえて、使えなかったら殺せばいいでしょ」
「簡単に言うな。効率の話をしているのだ」
残酷なことを言うペリクルのふわふわの髪から少し甘い香りが流れてくる。
さっきの魔王の部屋でかいだ香りを思い出し、ジェイドは窓の外を見る。
(魔王様が会っていた女は、この仕事に関係あるのだろうか?)
ジェイドは魔王と会っていた人物を、直感的に女と決めつけていた。
「ペリクル、私がラの国に言っている間、変なことはなかったか?」
「いえ、特筆するようなことは何も」
ディスプレイのターゲットから目を離さず、ペリクルは答える。
ジェイドの質問があいまいだったこともあり、ペリクルもぴんとこないようだった。
さすがにランゲラクのことを名指しで疑うには、根拠がなさすぎる。信頼しているとはいえ、ペリクルにもあまり責任を負わせたくないというジェイドの親心みたいなものが見えた。
「あ、そういえば」
ペリクルが口元に人差し指を当てながら、何か思い出したようなことを言う。
「どうした?」
がたっと、椅子から立ち上がるジェイド。
「昨日のおやつに食べたチョコパイがすごく美味しかったんですよ。今度ジェイド様の分も買ってきますね」
ジェイドは真顔に戻り、すっと椅子に座りなおした。
妖精に期待したことを悔やんだ。
ジェイドが魔王から直々に依頼された極秘任務とは、この薪拾いをしているアイソトープが【蘇生】スキルを使えるかどうか確かめることだった。
ジェイドが魔王から頼まれたのは、約一週間前のことだった。
いつもの報告に魔王の部屋に行くと、改まってお願いがあると言われジェイドはひどく驚いたことを思い出す。
魔王から直々にお願いがあると言われ、緊張しないモンスターがいるだろうか。
それこそが今回の極秘任務であった。
魔王からジェイドに告げられたその内容は、「【蘇生】スキルを持つアイソトープの保護」であった。
いや、厳密にはそのアイソトープが【蘇生】スキルを使えるのかどうかを見極め、それが事実ならば保護すること、であった。
ジェイドも最初はさっきペリクルが言っていたように、さっさとらりしてくればいいと思ったが、魔王はそれを良しとしなかった。
なるべく穏便に、もしターゲットが【蘇生】スキルを使えないのなら何もするな、との言いつけだったのだ。
故に魔王の命を守り、ジェイドはきちんと【蘇生】スキルの有無を確かめようとしているのだった。
(しかし、あのアイソトープが【蘇生】を使えるとは思えない。現に昨日は失敗していたではないか)
あのダジュームテーマパークでの一件も、ジェイドは監視していた。
ターゲットは死亡した老人の胸に手を合わせて魔法を使うようなそぶりを見せはしたが、何も起こらなかったのだ。老人を生き返らせることはできなかった。
(まだ使いこなせていないだけなのか、それとも……)
あの行動を見たところ、ターゲット本人には【蘇生】の魔法を使える自覚はあるのかもしれない。
ジェイドはディスプレイに映る、そのアイソトープの男に目をやる。
なんとも頼りのない男は、もくもくと木を拾い続けていた。
見たところは【蘇生】どころか、魔法の一つも使えそうにない。モンスターのジェイドでも、それくらいのことは見るだけで分かる。こいつは、ただの間抜けであると。
だがアイソトープという生き物は突然に覚醒することをジェイドも知っている。
ごくまれに、あり得ないようなスキルを発現させて覚醒することがあるのだ。
そう、先代の魔王を倒したあのウハネのように。
「ペリクル、ちょっと出てくる」
ジェイドは何か意を決したように立ち上がる。
「あれ、お昼ご飯はいいんですか? 勝手に食べときますよ!」
ペリクルの緊張感のない声を無視し、部屋を出る。
もう一度、この目であのアイソトープを確かめてみよう。
昨日の出来事はたまたまで、自分の勝手な思い込みで判断するわけにはいかない。
何せこれは魔王様からの直々の任務なのだ。失敗は許されない。
そう決心し、ジェイドは塔のてっぺんから、ラの国へ向けて飛び立った。
この極秘任務、必ず成し遂げなくてはならない。
しかし、謎が多い仕事だった。
なぜあんなアイソトープが【蘇生】スキルを持っているのか?
ランゲラクがどこまで知っているのか、そのうえで何を考えているのか、それともこの件とは全く関係がないのか?
今日、魔王と会っていた女は誰なのか?
そして、なぜ魔王は【蘇生】スキルが必要なのか?
ワープを使わず飛んでいくのは、これらのことをじっくり考える時間が欲しかったからだ。
執事ジェイドは考えすぎて、どこか慎重な面を持つモンスターであった。
そう、どこかの誰かのように……。
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