「ペリクル、ここが妖精たちの暮らす村。あなたもこれからここで住むのよ」
「ホイップも一緒に?」
「そう」
ペリクルを村に案内しながら、ホイップは面倒くさいことになったと、内心ではうんざりしていた。
シャクティにより、ペリクルの世話係に任命されたからだ。
新しい妖精が転生してきたときは、誰かが一人世話をすることになっているのは、妖精の森森のしきたりであり慣習だった。なにせ元の世界の記憶もなくし、何も知らないままいきなり羽を生やして妖精として生きていくことになるのだから。
もちろんホイップも転生してきたときは世話をしてもらったので、その恩を返すのは当然のことである。
「ねえホイップ。みんな空を飛んでるけど、私も飛べるようになるの?」
「背中に羽があるでしょ。それを動かせば飛べるわよ」
不愛想にそう告げると、ホイップは一人ですたすたと村の中へ入っていく。
ペリクルの慣れ慣れしさには、少し嫌気がさしていた。
なんにでも興味を持ってすぐに知ろうとするペリクルが、あまりにも自分に似ているから。
「ちょっと待ってよ、ホイップ! 羽なんか動かないよぉ!」
ぱたぱたと走ってホイップを追いかけるペリクル。まだ右も左もわからないダジュームでの第二の人生が始まったばかりで、頼る者はホイップしかいなかった。
村の中ではホイップについて回るペリクルの姿を見て妖精たちが近寄ってくる。
「ホイップも大変ね。初めての世話係だっけ?」
「そうよ。はぁ」
知り合いの妖精に話しかけられたホイップはおおげさにため息をついて、後ろから付いてくるペリクルを見る。
「ちゃんと教えてあげなさいよ。ねえ、ペリクル?」
「うん。ホイップにいろいろ教えてもらう!」
ペリクルは黒い髪を風になびかせながら、丸っこい目を輝かせた。
「ホイップは優秀な妖精だからね、しっかり言うことを聞くのよ?」
「そうする!」
ペリクルは健気に頷いて、ホイップのスカートをちょんと掴んだ。
「余計なこと言わないでよね」
ホイップは機嫌が悪くなったように、ぷいっと顔を背ける。
妖精たちに序列はない。年齢という概念もないし、早く転生してきたからといって偉いわけではない。始まりの妖精であるシャクティは別格として、この森ではすべてが平等であった。
それはホイップも承知していたし、ペリクルを下に見ているわけではない。
ただホイップはちょうどこのころ、妖精についての疑問がずっと心の中でモヤとして残っており、他人の心配をしている余裕がなかったのだ。
自分はこのままこの森にいていいのだろうか。
外の世界のことを知ろうとしなくていいのだろうか。
ダジュームの歴史の語り部という役目をまっとうしなくていいのだろうか。
そして自分はいったい何なのか……。
ホイップはこの森を出ていくべきか、悩んでいたのだ。
何も知らなければ多くのことを失ってしまう。だけど、何も知ろうとしなければすべてを失う。
そうならないためにはこの森を出るしかない。
そして、妖精の本来の目的を、そして自分が何者であるかを証明しなければいけないという気持ちになっていたのだ。
「どうしたの、ホイップ? ねえ、空の飛び方教えてよ?」
無垢な目で見つめてくるペリクルも、きっとこの森で生活しているうちに染まっていくだろう。この森にいれば、何不自由することはないのだから。
でも、他人のことをどうこう言うつもりはない。
「そうね、じゃあ行きましょう。空の飛び方、教えてあげる」
「ほんと?」
そのペリクルの期待と希望がまざった目を、ホイップは直視することができなかった。
「ちょっとホイップ? 冗談?」
「私は本気よ?」
ホイップに連れていかれた先は、滝の上だった。目の前は崖になっていた。
「ここから飛び降りてみなさいな。そしたら、いやでも飛べるようになるわよ」
ホイップは腕を組んだまま、崖の下に視線を落とした。
崖の下には泉の広場があり、あのシャクティの大樹がある。
「こんなところから飛び下りたら、死んじゃうじゃない!」
「空を飛ぶっていうのは感覚の問題なの。言葉で言っても伝わらないものよ。ここからと落ちれば、いやでも飛べるようになるわ」
ホイップはキラキラとしたペリクルの瞳を見ると、意地悪を言いたくなってしまう。
この妖精になったことでまだ何も知らないことが、ペリクルに希望を見させているのならば、現実を教えてやりたいと思うのだった。
ここ最近、悩むことが多いホイップが世話係になってしまったのは、タイミングが悪かったのだろう。
ペリクルは唇を尖らせて、泣きそうな顔をしていた。
「みんなそうやって飛べるようになったのよ」
もちろんそんなことはなかった。勘のいい妖精なら、生まれた瞬間に空を飛べたし、たいていの場合は時間が解決してくれる問題だった。こればかりは個人差があった。
ホイップとてこんな荒療治を本当にさせるつもりはなく、ただ単にペリクルに対する教育のためだった。
序列がないとはいえ、自分に対してあまり馴れ馴れしくしてほしくなかった。
世話係の人を疎かにするつもりはないが、ホイップにとってもやり方がある。友だちのような関係にはなりたくなかったし、ビジネスライクに付き合うのが一番と感じていた。
いずれ自分はこの森を出ていくかもしれない。
そうなったときのためにも、ペリクルとは一線を引いておきたかった。親しくなりすぎて、別れが辛くならないように。決心が揺るいでしまわないように。
「うー」
崖の下をちらちら見ながら、膝を震わせるペリクル。
ペリクルの背中の羽を見ると、まだつぼみのようにくるんと包まれていた。
きっと彼女が空を飛べるようになるための処方は、きっと時間だ。しばらくすれば、放っておいても飛べるようになるはずだ。この羽では飛べないことは明らかだった。
「できないんだったら、諦めなさい」
ホイップの小さないじわるだった。
いきなりこんなところから飛べるわけがない。転生して来て間もない妖精が、初めて会った世話係のことを真に受けてそんな無茶なことをするわけがない。
ホイップはそう断定していた。
自分が世話係になったことを歓迎していないという、意思を示したかったのかもしれない。
だが――。
「うー……。やぁっ!」
ホイップの予想に反して、ペリクルは両手を広げ、崖の下に向けて飛びこんだのだ。
「ちょ! ペリクル!」
驚いたのはホイップのほうだった。
思わず手を伸ばしたときには、もう視界からペリクルの姿は消えていた。
あの羽じゃ飛べるわけがない! 真っ逆さまに落ちてしまう!
ホイップも慌てて崖の下へ飛び込んだ。
「ペリクル!」
「キャー! 助けてー!」
案の定、ペリクルの羽は開かずに、手足をバタバタさせて落下していく。
ホイップは羽を限界まで羽ばたかせ、落ちていくペリクルを追った。
重力による落下速度を上回って、ペリクルの手を掴んだときにはもう地面すれすれだった。
「な、何してんのよ、あんた!」
冷や汗をかきながら、間に合ったことにほっとしていることを気づかれないように、口調が厳しくなる。
飛べっていったのは自分なのに。
「えへへ、飛べなかったみたい!」
地上に降りると、恥ずかしそうに頭をかくペリクル。
ホイップが込めた悪意など、まったく気にする様子もなく、ただ純粋な笑顔を見せた。
「……」
純粋で健気なペリクルに、ホイップは何も言えなくなる。ただ、握られていたペリクルの手が震えているのがわかった。
気丈にふるまっているが、怖くなかったわけがないのだ。
ついさっき転生してきたばかりのペリクルに、なんてことをさせたのだと罪悪感が押し寄せてくる。
「ごめんね、ペリクル……」
地上に降りると、ホイップはペリクルを抱きしめた。その小さな体は、まだ震えていた。
「あれ? どうしたの、ホイップ?」
きょとんとするペリクル。
ペリクルは何も知らないが、まだ何もわかっていないだけだった。
そんな妖精に対して、自分の疑問のはけ口にしてきつく当たるなんて、最低だ。
「私には妖精の才能がないのかな……? 全然飛べないよ。ごめんね」
なぜかペリクルのほうがかいがいしく謝ってくる。
「すぐに飛べるようになるから、大丈夫よ」
「ホイップがそう言うんなら、大丈夫だね!」
またペリクルは笑顔を弾けさせた。もう、震えは止まっていた。
この子は自分のことを信頼してくれている。ホイップにとっては初めての感情だった。
「そうよ。安心しなさい」
ホイップは誓った。
ペリクルが妖精として一人前になるまで、この森を出ていくことはやめようと。
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