シリウスの一撃で、右腕を失った俺。空中に漂いながら、ぼとぼとと傷口から血が流れ落ちる。砂浜には血だまりができるほどであった。
大したスピードもなく、意表を突いたわけでもない凡庸な攻撃だった。いくらでも避けられたし、反撃する余裕もあった。
あえて攻撃を食らった、というのも正確ではない。
これは俺が抱えるべき、瑕疵だった。
「ケ、ケンタさん……」
俺のことを心配するようなシリウス。足元に落ちた、俺の右腕を見て、少し後ずさった。
腕を切り落とされても痛みを感じないのは、モンスターだからだ。むしろダメージを受けていない俺の体はどうなってるんだ? マジで中ボスレベルはあるんだろうな。ベリシャスに厄介な体にされたもんだよ。
それでも俺は戦うつもりはない。
「やられちまったよ」
今日のところは、これを結論としたかった。勇者の狙いがよく分かった。
勇者は俺が先代の魔王を生き返らせると考えている。俺が魔王の軍門に下ったと考え、俺を殺そうとしているのだ。目的は違えど、つまりはランゲラクと考えることは同じ。
だとしたら、そう簡単に殺されるわけにはいかない。
「じゃあな、シリウス。今日はここまでにしとこう」
俺はすいっと、高度を上げた。
「逃がすな!」
安全な場所から勇者が叫ぶが、もうシリウスの攻撃は届かない。
となると次に俺に襲い掛かってくるのは……。
「やあっ!」
魔法使いサラメットの杖から、火の玉のようなものが数発飛んでくる。俺はそれを空中でなんなく避ける。
話し合いをするなんて不可能だった。勇者が俺を狙っている以上、戦闘になるのは必然だった。
ボジャットに捕まってしまってから、本来の目的を忘れて暴走したのは俺だ。これじゃペリクルに叱られてしまう。
「逃げる前に、本来の目的を果たさせてもらおうかな」
俺は勇者クロスたちがいる場所に向けて、飛び立った。
シリウスと、切り取られた右腕はそのままにして。
「来たぞ! 撃ち落とせ!」
勇者がサラメットとメサに命令するが、俺のスピードをなめてもらっては困る。一瞬で勇者たちの頭上に到達し、さらに急降下する。
クロスたちは慌てふためき、その場から四方に散る。
そんな慌てて逃げなくてもいいのに。勇者を攻撃するつもりなんて、まったくなかった。
「ケンタさん! こっちです!」
「ホイップ!」
鳥カゴの中で両手を広げるホイップ。
鳥カゴごと空中から掴んで、再び上空に舞い上がる。
こんなデーモンの姿になってまでダジュームに来たのは、ホイップを探すためだった。
そして勇者に会いに寄り道した結果、棚ぼた的にホイップを見つけてしまった。これは幸運でもあったのだ。
「じゃあ、そういうことで!」
「待て!」
地上では勇者たちが騒いでいるが、もう関係のないことだ。
チラリと、最後に砂浜に視線を落とす。
シリウスが大剣を握ったまま、俺を見上げていた。
シリウスには悪いが、今は話もできないことは分かった。
きっとお互いが望む平和の到達点は同じはずだ。だけど、今は別々の道を歩むしかない。
自分を信じて、俺は前を向いた。
いつか俺とシリウスの望む平和が、交わることを信じよう。
「ケンタさん! 本当にケンタさんなんですか?」
「そうだよ。いろいろあってさ」
鳥カゴを抱えて飛んでいると、ホイップは話しかけてくる。
こんな姿で再会するとは思っても見なかったが、俺だと信じてくれていることは素直にありがたかった。
「空まで飛べるようになって、すっかり立派になりましたね!」
「これが立派になった姿だと思うか? まったく……!」
ホイップと話さねばならないことはたくさんあった。
だがその小さな妖精を救出できたことに、俺はとりあえずほっとしていた。
太陽はもう海の向こうに沈んでしまい、海岸線はようよう黒くなり始めたところだった。
「ここまで来れば、大丈夫だろ」
俺たちはファの国を抜け、すでにラの国に入っていた。とりあえずアレアレアに向かおうとした途中で、休憩しようと山の中に下りた。
「早く出してください! もう窮屈なんですよ!」
鳥かごの中で、ホイップが暴れている。元気そうで、安心する。
「ちょっと待ってろよ」
と、鳥カゴの鍵をバキンとこじ開け、中からホイップを出してやる。
こういう時、モンスターは体は力があっていいぜ?
「ああー! シャバの空気は美味しいですね!」
両手を上げて背筋を伸ばすホイップは、パタパタと羽を乾かすように羽ばたかせる。
「いやぁ、ホイップが無事でよかったよ。で、なんで勇者と一緒に……」
「ケンタさん、そこでじっとしててくださいね」
「へ?」
ホイップがバク宙をするように、ふわりと浮かび上がった。
俺の頭よりも高いところまで上がって、何やら狙いをつけていた。おいおい、パンツが見えるぞ?
「おい、ホイップ? 何を……」
何をする気だ、と思った瞬間。
「えいやぁ!」
ホイップはその小さな両足をそろえて、一直線に俺のは顔面にめがけて急降下!
「ぶべらっ!」
ホイップの必殺急滑降ドロップキックが俺の鼻に直撃した。
これは最初にホイップに会ったときと同じシチュエーション!
「これは勝手にハローワークを出ていったお仕置きです!」
しゅたっと地面に下りるホイップ。
「い、痛い……」
俺の鼻からは血が溢れ出てきた。シリウスに右手を見られたときよりもダメージを受けてるんですけど、どういうことですか?
「いきなりいなくなったとおもったらそんな姿で現れて、どういうつもりですか、ケンタさん! そんな不良に育てた覚えはありませんよ!」
腰に手を置いて、俺に説教してくるホイップ。
「ご、ごめんなさい……」
勝手にハローワークを出ていったことを言われると、何も言い返せない。
「でも、よかったです……。生きてて」
ぼそっと、ホイップが漏らした。
「ホイップ……」
このホイップも、俺を探すために一人でハローワークを飛び出したということだった。心配をかけてしまったことに違いはない。
「勇者を通じていろいろ聞きましたよ、ケンタさんのスキルのことは。そんなことになっていたなんて、思いもしませんでした。あのノースキルに定評のあるケンタさんが……」
「変な定評を付けるな。でもなんでホイップが勇者と?」
俺たちは山の中のきりかぶに腰を掛け、事情を説明し合うことにした。
俺がこんなデーモンの姿なので、そのへんのモンスターもきっと近づきはできないだろう。
「捕まったんです。妖精の森に行くために、私を利用しようとしてたんですよ、あの勇者!」
両手をぶんぶんと振り回し、勇者に対する怒りが込み上げてきたホイップ。
「やっぱりそうだったのか……」
「アレアレアにカリンちゃんに会いに行ったところで、あのメサとかいう祈祷師に捕まったんですよ。そのままワープでファの国まで連れていかれて!」
「で、妖精の森には?」
「入れるわけないじゃないですか! あそこに入るにはシャクティ様の許可が……って。そういえばケンタさん、妖精の森に行ったっていうのは本当なんですか?」
「ああ、本当だよ。だから勇者たちは俺を探しに妖精の森に行こうとしてたんだよ」
「なるほど……」
ホイップがまじまじと俺の顔を見てくる。
「それで?」
「それで、私がごねてたら今度はケンタさんを名乗るモンスターがアレアレアに現れたって連絡が入って。それであの海岸で輸送されるのを待ってたんですよ。妖精の森に行かなくてよくなったのに、私は解放してくれないんですからね。勇者って融通がきかないですね!」
「でも俺が助けてやったんだから、これでおあいこだろ」
「まあ、そういうことにしといてあげますよ」
ホイップは腕を組んで、顔をプイっと背けた。素直じゃないなぁ。
「で、なんでそんなモンスターになってるんですか? どこに行ってたんですか? シャルム様には会いましたか?」
今度はホイップが質問の雨を降らせてくる。
「ああ、シャルムにはモンスター臭くなるから事務所に入るなって言われたよ……。いや、そうじゃなくて、俺たちはお前を探してたんだよ!」
「俺たち? ほかに誰かいるんですか?」
「ああ。ペリクルだ。覚えてるだろ?」
「ペリクル? ペリクルって、あのペリクルですか?」
ホイップの丸い目が、いっそう丸くなった。
「そうだ。妖精の森でお前が世話してた、あのペリクルだ。ペリクルも森を去ったホイップを探していたんだよ。ずっと」
ハローワークを飛び出した俺と同じように、ホイップも妖精の森を飛び出していたんだ。
「ペリクルも、ダジュームにいるんですか?」
「ああ。あいつもいろいろあって、今はダジュームにいる」
「じゃあケンタさんを妖精の森に導いたのもペリクル……?」
「そういうことだ。今はちょっとはぐれちゃったけど、たぶんアレアレアにいるはずだ。明日会いに行こう!」
これでようやく俺がモンスターになってまでダジュームに来た目的を果たせる。
ホイップとペリクルの再会を叶えられるとあっては、失った右手など安い代償だ。
「そうですか……。あのちびペリクルが……」
妖精の森では育ての親だったホイップが、しみじみと昔を思い出すように呟く。
「ずっと会いたがってたぞ」
「ケンタさんも、妖精の森でシャクティ様に会ったんですか?」
「ああ」
「そうですか。……じゃあアイソトープのことも?」
「もちろん聞いた。妖精に転生できなかったできそこないが、俺たちアイソトープだってこともな」
「そうなんですね」
ふとホイップのか表情が曇る。
「別に俺はなんとも思ってねーからな。アイソトープでも不満はないし、いや不満はあるけど……、まあなんとかやってるし。こんな姿になっても」
「そうですね。ただじゃ死にそうにありませんね、ケンタさんは」
ふふ、とホイップが笑った。
「うるさい。でも右手を切り落とされて、どうしようか? これ元の姿に戻ったときはどうなるんだろ?」
「ペリクルはああ見えて回復魔法が使えるんで、治してくれるかもしれませんよ」
「マジか? 明日頼んでみようか」
「で、なんでそんなモンスターになったんですか?」
「これはな……」
それから俺たちは、二人で語り合った。
これまでのことや、これからのこと。
いつの間にか眠ってしまい朝を迎えると、俺たちはペリクルに会うためにアレアレアに向かったのだった。
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