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ハマカズシ
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恩人とターゲット

公開日時: 2020年12月23日(水) 18:00
更新日時: 2021年12月18日(土) 20:20
文字数:5,059

 この行動はジェイドにとっては想定外だった。


 ターゲットとの直接の接触はできるだけ避けるべきことなのは、当然であった。


 何しろ相手はアイソトープ、自分はモンスターである。


 ジェイドは普段は見た目を人間に寄せてはいるものの、背中には大きな黒くまがまがしい羽根が生えているし、モンスター独特のオーラを身にまとっている。


 モンスターがアイソトープの匂いを感じるのと同じように、モンスターにも独特のオーラがあって人間たちからには違和感を与えてしまう。


 見る人が見れば、その正体は一瞬で看破されてしまうことだろう。


 こうやってターゲットの前に姿を現したことで、ジェイドはそんな危険を冒してしまったことになるのだ。


 できることならば、このターゲットを遠くから見守りつつ、【蘇生】スキルの有無を確かめる予定だった。


 そのためにターゲットの身近な人物を殺すことも、選択肢のうちに秘めていた。


(しかし、ターゲットに死なれてしまっては、すべてが水の泡だ)


 魔王城からラの国にやってきて、この裏山に来た途端、目に入ったのはキラーグリズリーに襲われそうになっているターゲットの姿だった。


 このターゲットに戦闘スキルが皆無なのは、これまでの調査で明らかだった。


 ターゲットを食い殺そうとしているキラーグリズリーにかなうはずがなく、今にも爪で引き裂かれそうになっている場面を見て、思わず間に入ってしまった。


 ジェイドにとってはキラーグリズリーは同じモンスター、同胞である。


 殺してしまうのは気が引けたが、すべては魔王からの任務を遂行するための犠牲と考えるしかなかった。


 何よりもこのターゲットのアイソトープを死なせるわけにはいかない。


「ありがとうございます、助けていただいて」


 ケンタはようやく立ち上がり、命の恩人であるジェイドに頭を下げた。


 ジェイドも複雑な心境ではあったが、己の感情を殺すことなどたやすかった。無表情で、ケンタに対する。


「いや、礼は不要だ」


 向き合うと、背はジェイドのほうが少し高い。


 ケンタは何一つ疑うことはないのか、笑みさえこぼしている。極度の緊張感から解放されて、表情が緩んでいるのであろう。


 やはりケンタはジェイドのことをモンスターだと気づいてはいない。


 そう感じ取ったジェイドは、これからどうするべきかを思案する。


 頭上にはジェイドの【監視】スキルである「第三の目」が二人をしっかりと監視していた。魔王城では今のこの様子を、ペリクルがチェックしているに違いない。


 ふと、ジェイドはケンタの手元に目をやる。


 魔王からの情報では、この両手から【蘇生】の魔法が放たれるはずなのだ。


 テーマパークで老人が倒れた際も、この両手を死体の胸に当てていたことを、ジェイドは見ている。


 とっさにあの行動をとったということは、おそらくこのアイソトープ自身にも【蘇生】スキルを持っている自覚があるはずではないか?


 ターゲットと接触してしまったからには、もう少し情報を引き出すべきだと、ジェイドは目的を変更した。


「君は、アイソトープか?」


 ジェイドはケンタの目を見て、静かに尋ねる。


 魔王城に連れ帰り、拷問にでもかけるか、【蘇生】スキルが使えるかどうか人体実験をするのもいい。ジェイドは手段の一つとして、胸に含んでおく。


「は、はい。そうです」


 ジェイドの期待通りの答えを、ケンタは隠さずに答える。


 もし疑われたならば、拉致すれば問題ない。余裕があるのはジェイドのほうだった。


「ここに来て、まだ一か月ちょっとです」


 ケンタは少し恥ずかしそうに答え、左手首につけられている黒い腕輪を見せた。


 ジェイドもその腕輪が、ハローワークで訓練を受けているアイソトープの証であることは知っていた。魔法を補助する魔道具らしい。


 ジェイドはそれとなく慎重に、ケンタに尋ねる。


「……魔法は使えるようになったのか?」


「いえ、まだ何も。そもそも訓練を受けてませんから。今はずっとこの通りです」


 ケンタはキラーグリズリーによってぶちまけられたリヤカーの薪を指さした。


 どうやら集めた薪も散らばってしまっているが、リヤカーは破壊されずに済んだみたいで、それだけが不幸中の幸いだった。


 ジェイドもその光景を振り返って確認する。


 魔法の訓練もせずに薪拾いをさせられているということは、やはり素質がないからであろう。そもそもアイソトープが魔法を使えるようになること自体は稀なのだ。


 魔法が使えたならば、すでにさっきキラーグリズリーに襲われたときに使っているはずである。


 やはりこいつに【蘇生】のスキルがあるとは思えないと、ジェイドは確信に近い答えを得たようだった。


「あの、なぜこんなところに?」


 今度はケンタのほうから、ジェイドに尋ねる。


 この謎の男がいなければ、ケンタは間違いなくここで死んでいた。命の恩人といってもいいのだが、なぜいきなりこんなところに、しかもスーツで現れたのか理由がわからなかった。


 逆に不安になってしまうのは、ケンタの慎重さゆえだろうか。


 偶然こんな山を通りがかることはありえないのだ。


 しかも、ケンタにはついさっきまでその姿はどこにも見えなかった。まるでいきなりこの男が湧いて出て、ケンタを助けてくれたのだから安堵の次にやってきたのは不信感であった。


「それは……」


 ケンタに対し、ジェイドは口ごもってしまう。


 もちろんジェイドも最初からケンタを助けるつもりはなく、あくまで遠くから監視するつもりだった。


 まさかこの裏山に着いたとたんに、ターゲットが死にそうになっていたことに気づきとっさに助けてしまっただけだった。


 こうやって接触した時の言い訳など、考えてもいなかったのだ。


「わ、私も薪拾いの訓練中だったんだ」


 なんとジェイド、適切な理由が見つからず、バレバレの嘘を口にしてしまった。


 まさか自分がモンスターで空から飛んできたと説明できるはずはないが、こんなスーツで、しかもここまでどうやって来たのかも考えずに口走ったのは、ジェイドにしては軽率であった。


「そ、そうなんですか」


 しかしケンタは、最初こそ不審には思ったが、まるで針に糸を通すみたいに真剣で真面目な顔で言い切ったジェイドが、嘘を言っているようには思えなかったのだ。


 感情を表に出さずに無表情を心掛けているジェイドの態度が、アイソトープ相手にここでは功を奏したのである。


 モンスターでありながら、初対面のアイソトープに信用されるとは、なかなか妙な話ではある。


「ああ、そうだ」


 なんとなくケンタが自分の嘘を信じていると判断したジェイドは、胸をなでおろす。


「じゃあ、あなたもアイソトープなんですか?」


 ケンタがそう判断するのも無理はなかった。


 訓練、というキーワードはアイソトープであることに直結させてしまった。


 だがこのケンタの素直な反応に、ジェイドは戸惑ってしまう。


 ジェイドも一度嘘をついてしまったからには、その嘘を守るためにはさらに嘘を重ねる必要がある。魔王に仕える悪のモンスターといえど、嘘をつくことを是としているわけではない。しかもこんなバカみたいな嘘ならなおらである。


「あ、ああ」


 この肯定はこれは悪手であった。


 もちろん、言ったあとにジェイド本人も気づくのであるが、手遅れである。


 このへんは実にモンスターらしくないジェイドである。


「そうなんですね! でも、このラの国にはハローワークがひとつしかないのに、どこの国のアイソトープなんですか? で、なんでこんなところに? それにしては強すぎて、薪拾いの訓練なんてする必要がないように思えるんですけど……?」


 ケンタの質問は、懐疑の念が執拗なくらいにこもっていた。


 これはケンタに悪意があったわけではなく、そんな余裕もなかった。


 ただ慎重なだけであり、ジェイドがキラーグリズリーよりも恐ろしいモンスターであることなんて夢にも見ていないのだ。さすがに石橋をたたいて渡るケンタと言えど、モンスターに命を助けられるという想像はできない。


 むしろ恩人であり、自分と同じアイソトープであると聞いて親近感さえ感じているのだ。


 ケンタもちょろいものであるが、男同士の吊り橋効果と考えれば無理もないだろう。


「いや、この国のアイソトープではないんだが……」


 あやふやな返事を返すジェイド。


 このままケンタを信じ込まさなければいけない。


 なんてったって、ターゲットである。


 嘘をついてしまった手前、うやむやにすると疑われて自分の任務に支障が出てしまう。


 強がって拉致すればいいなんて考えてはいたが、魔王からは穏便にと言われているので、そもそも無茶はできないのだ。


 困った。


 さすがのジェイドもポーカーフェイスに限界が訪れそうになり、思わず苦虫をかみつぶしそうになったそのとき。


「そうなんですね。ほかの国のハローワークを卒業されたんですか?」


 ケンタが得心がいったという風に、目を見開いた。


「まあ、そんなところだ」


 ジェイドは真顔のまま、この少年は本当に自分のことをアイソトープだと信じているのか、見極めようとする。


 まだダジュームに来て一か月余りという少年は、おそらくぱっと見でアイソトープか人間かを見分けることは不可能であろう。


 しかしジェイドはゴリゴリのモンスターである。魔王軍直属の、そらはもう恐ろしいモンスターだ。人間の形に化けているとはいえ、それなりのオーラが出てしまっているはずだった。


(まさかこの少年、私がモンスターと分かった上で試している……?)


 ケンタに負けず劣らず慎重派のジェイドである。


 何のスキルもない貧弱なアイソトープのケンタを、勝手に疑い、過大評価し始めた。


「じゃあなんでこんなラの国に? 訓練でこんなところまで?」


 無垢な瞳で、ケンタに見つめられるジェイド。


「……新しいジョブの面接を受けるために、【薪拾い】のスキルが必要になってね。それで訓練に来たというわけだ」


 仕方なく、ジェイドはさらに嘘を重ねた。


 モンスターといえど、アイソトープやハローワークの仕組みは理解していた。


 疑われていようと、信じられていようと、ここは嘘を重ねるしかない。


「そんなスーツを着てですか?」


 ケンタは素朴に聞き返す。


 スーツを着て薪拾いの訓練とは、なかなかあることではない。


 考えてみてほしい。ぴっちりとスーツを着て農作業をする人を見たことがあるだろうか? スーツを着てトラクターを運転したり、稲刈りをしている人がいたら、真っ先にドッキリを疑うべきである。きっと木陰にカメラが設置されていることだろう。


 ましてやここは異世界。ただでさえスーツを着ている人物など皆無に等しいのだ。


 なのに、今目の前にいる少年はまっすぐな目で自分を見つめているのだ。


(これはブラフか? 俺を試そうとしているのか?)


 こんなことになるのなら、助けずに見捨てておくべきだった。ジェイドは激しく後悔をし始めた。


「これが私の私服なのでね……」


 それは本当のことであったが、薪拾いのときに着る服ではないのは明らかである。


 このアイソトープが【蘇生】スキルを使えるかどうかを判断しなければいけないのに、なぜ逆に追い込まれるような状況になっているのだと、ジェイドは奥歯をかみしめる。


 だが、ジェイドはさらにドツボにはまることになる。


「そうだったんですね! 俺、これから事務所に戻るんで、一緒に行きませんか? さっき助けてもらったお礼もしたいし、うちの所長のシャルムにも会っていってください!」


 まさかの誘いを受けてしまった。


 ケンタとて、ジェイドは命の恩人であるので、ここで無碍にするわけにもいかない。


 彼はもはやジェイドのことをこれっぽっちも疑ってはいなかった。これは感謝でしかなかったのだ。


「あ、ああ……」


 しかしジェイドにとってみては、予想外の誘いであり、窮地に陥ることとなった。


 なぜターゲットであるアイソトープに感謝され、ハローワークに招待されなくてはいけないのか?


 ジェイドはこんなことをしにはるばるラの国に来たのではない。


 このケンタという少年のスキルを確かめに来たはずなのに、どこかで大きく予定が狂ってしまったのだ。


「じゃあ行きましょう! 外に馬があるんで!」


 はっきりと断り切れず煮え切らない返事をしてしまったことで、ジェイドはケンタに手を引っ張られて山を下りることになってしまった。


 アイソトープとモンスターの奇妙な関係は、このままどこへ向かうのだろうか?


 もう少し疑ってもいいんじゃないのか、ケンタよ?


 そしてジェイド、ハローワークに行ったら百戦錬磨のシャルムがいるぞ? さすがにシャルムにはモンスターだと見抜かれるぞ!


 慎重すぎる二人のすれ違いが、このあと大きく揺れ動くのだった。

 

 

 

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